静岡も数多く訪れているので、年別にいきます。
2013年1月14日、2014年6月22日、2014年12月26日の高速道路のサービスエリアでの写真です。
アメリカにあるソルトレイクでボンネビルというところで走った車両のようですね。
光岡自動車の『オロチ』という車です。
初めて見ましたが、かっこいいですよねぇ〜。
走っているところはまだ見たことがありません、見てみたいです。
このバイクもボンネビルで走行した車両のようです。
ヤマハミュージアムに訪れたのは2016年2月29日のことでした。
ここ静岡はバイクの聖地といっても過言ではないです。
ヤマハ、スズキ、ホンダの創始者本田宗一郎も静岡県の出身です。
このヤマハのミュージアムにある2000GTのこの色はこの一台だけだそうで、たしかモーターショーに出ただけだったような気がする…うろ覚えですいません。
ヤマハといえばやっぱりピアノのイメージが強いですよね、楽器でもバイクでも同じマークを使っているんですが、微妙に違いがあるんです。
三連音叉の大きさが少し違うんですね、YAMAHAのMも楽器で使われているのはMの真ん中が下についていなくて、二輪車で使う方はMの真ん中が下についています、微妙な違いですが。
バナナワニ園を訪れたのは2016年7月16日のことでした。
クロコダイルとアリゲーターってよく聞きますが、どのように違いがあるのかは知りませんでしたが、ここで知りました。
ワニが口を閉じた時に下の歯4番目が隠れるのがアリゲーターで、歯が出るのがクロコダイルだそうです。
これを知ったところで何って話なんですが…
このオオオニバス葉はうまく乗れば子供が乗れるそうですが…
昔『世界の果てまでイッテQ』という番組でイモトさんが乗って一瞬で沈んでましたね。
スズキミュージアムを訪れたのは2016年7月17日のことでした。
スズキミュージアムは入場するのに予約が必要で、スズキミュージアムのホームページから予約ができます。
私が今一番欲しいバイクです。
喉から手が出る…まぁ、それはさておき、驚きました。
刀のファイナルエディションにはシリアルNoが入っているんですが、刀の排気量にちなんでの1100番。
博物館に展示されるなら1番とかかなぁ〜と思っていたんですが。
スズキは機織り機から始まったんですねぇ。
知らなかったです。
1950年代の物価だそうですが全然イメージできないです。
大卒初任給が6500円って?今の価値に換算するといくらくらいなんでしょう?
富士登山をしたのは2016年8月17日のことでした。
この五合目からの登山はかなりキツイ道のりでした。
とても晴れていていい感じの天気ですが、実はこの前日台風が通過していて登るのをどうするか悩んでいましたが登る事ができました。
この角度から見ると全然富士山らしくないですよね。
さぁ、午前5時50分登山スタートです。
私が富士山に登ったのは世界遺産認定されてからのことでした。
世界遺産になる前に登っておきたかったですねぇ。
あざみですね、多分。
富士山の途中まではこんな感じの小石で踏みしめる度に自分の体重で少し沈む感じで体力を消耗していきます。
この看板にある大砂走りで帰りは帰るんですがめちゃくちゃ早かったです。
確か頂上から2時間くらい。
ここで午前11時、ここまでで5時間かかってます。
正直標高3000mとなるとさすがに酸素が薄い、私は連日の車移動で疲れていたのもあるけど、かなり頭痛が酷かったです。
3000mを超えてくると肌寒くなりますので登る前に上着などを持って行った方がいいです。
ちなみに駐車場では半袖でした。
皆さんは無理をしないようにしましょう。
休憩所、ご来光を見る方はここで泊まって行くみたいです。
富士山に登るルートはいくつかあるそうですが私が登ったルートでは、ここまで休憩所がないのでトイレもありませんし、ご飯を食べれる所もありません。
そして、トイレもお金がかかりますので登山する時はお金を持ち歩きましょう。
そしてここでの食べ物、飲み物は高いです、ビックリします。
確かペットボトル一本500円くらいしてたと思います。
ご飯も確か1000円くらいしていたと思います。
でもしょうがないですよね、こればっかりは。
この高地での空腹や喉の渇きには勝てませんので、登山前にしっかりと準備しましょう。
この休憩所を出る土質が赤になります。
この鳥居がゴールです。
時間の方は午後2時20分、つまり8時間20分かかりました。
もちろん休憩やご飯を食べたりしていましたが8時間以上ですキツかった。
おやつに持って来ていたポテチ…もう破裂寸前です。
さっきゴールと書きましたが、実はその鳥居からこの最高地点まではもう少し登らなければなりません。
ここが本当の登頂です。3776m日本最高峰です。
ここから下山するんですが2時間くらいで車の所に帰って来たのは午後の6時でした。
つまり12時間富士山で遊んでいたことになります。
日本に生まれたからには一度は登りたいと思っていたのがついに叶いました。