田川市石炭・歴史博物館

2024.11.15(金)

一昨日に引き続き炭鉱についてお勉強。

福岡県でも大牟田という地域でも炭鉱は有名だそうですが、事前に知らなかったので今回は福智山によく登っていたことでここ田川に炭鉱博物館があることは知っていたのと、少し前に見た『東京タワーオカンとボクと、時々、オトン』の話の舞台がこの辺りということで訪れてみました。

「えっ!この曲ってここが発祥だったの!?」知りませんでした。

この広場には立派な立坑櫓がありました、本当は2つあったそうですがもう一つは別のところにあるそうです。

これに乗り込んで地下何百メートへ降りていきます。

博物館内の3Dで再現したので見れます。

この建物は明治、大正、昭和と生活の違いを再現した集合住宅です。

広場の奥に2本聳える煙突は圧巻です。

猫ちゃんは雨宿り中でした。

館内には当時の道具、坑道内を再現していたりとかなり本格的で面白かったです。

池島

2024.11.13(水)

今日も天気が良くてよかった、というのも今日は池島炭鉱ツアーに参加する事になっているので…なので、まず重要事項を先に書きます。

*ツアーは事前にオンライン予約が必要です。

*島内にはATMはございませんので、ツアー代、フェリー代などを支払うときはなるべくお釣りが出ないようにを心がけましょう。

*ツアーじゃなくても島を見て回ることはできますが、ここには島の人が住んでいるので敷地内に入ったり立ち入り禁止区域に入っていく行為は絶対にやめましょう!!

瀬戸港から12:44分の便で池島へ。

ツアーに参加する場合はこの瀬戸港を利用する方がいいみたいです、もう一つの港からは夕方の便がないそうです。

フェリー乗り場のチケット売り場には二人の外国人がいました…ちょっと話してみた。

私「君たちも池島に行くの?」

外国人「うん、そうだよ」

私「どうやってここの島の事を知ったの?」

外国人「YouTube」

というやり取りがあった…YouTubeかぁ…あんまりいい噂聞かねなぁ。

私はこの池島の事は随分前に放送されたクレージージャーニーで佐藤健寿さんが端島(軍艦島)とセットで訪れていたので知った。

帰りも大人1人500円なので、500円はキープしておきましょう。

*ちなみに往復券は販売していないそうです。

島が見えました!30分くらいで到着。

ここ池島は第二の軍艦島と言われていますが、その大きな違いとして端島(軍艦島)は無人島なのに対して池島は有人島だということ、そう、そこには人の生活が今もあるということです。

船を降りると、係りの方が迎えに来ていました…そこから歩いて詰所まで移動します。

歩いて移動する間にも係りの方が色々と説明してくれます。

まずはこの池島の名前の由来について、ここ池島は炭鉱が始まる前はこの船が留まっているところが池になっていたそうです。

そして、あの端島(軍艦島)はこの池の面積より少し大きいくらいだそうです。

それを聞くと、なんだか端島って思っているよりも小さいのかも。

これは炭鉱が始まる前の写真だそうで、こんな感じだったそうです。

おそらくこんな感じで、太い赤のラインを切り崩して湾にして港を作ったのだと思います。

青い点はおそらく現在地のハイビスカスを撮った地点だと思われます。

まずはここでビデオを観て炭鉱の歴史について少し説明があります。

その後ヘルメットとヘッドライトを装着し歩いて数分のところにあるトロッコのところへ移動します。

トロッコの手前でちょっと説明。

まずはこの石、これは珪化木(けいかぼく)という木の化石です、採掘中に機械がこれに触れると火花が出て粉塵爆発だったり、メタンガスへの引火がおきる可能性があるそうです。

トロッコに乗って出発進行!

坑道内はこんな感じです。

これがトロッコに乗る前に話していた機械でこの歯がさっきの珪化木に当たると火花が出るそうです、もちろん歯が欠けたりもするそうです。

次はダイナマイトを入れる穴を開ける体験です、これは結構な重労働だと思われます。

もうすでに穴が空いている状態だったのでそこまでの抵抗感はないが、実際は振動だったり抵抗そして、これは台がありますが本来はないそうです。

この坑道内で行けることができる最深部で、その傾斜角は17度だそうです。

坑道内のツアーが終了し、ここからは島内のツアーへ。

まずは、今は誰も住んでいないアパート見学…4階の一室を当時こんな感じだっただろうと係りの方が再現したモデルルームを見て屋上に上がり島を一望。

この奥にある建物全てがアパートで、当時は空きが無いほどいっぱいだったそうだ。

そして、これが池島の地形をうまく利用して建てられた8階建のアパートの裏部分です。

ちょっと説明する前に重要な事なのでもう一度書きます!!

*立ち入り禁止区域には絶対に入っては行けません!!ってか入るな💢💢

入っていいいのは猫ちゃんだけです!

この外観を見たツアーの方が「あっ!ここYouTubeで見た!」と言いました。

そして係りの方が「ここのバリケードを壊して入っていく人がいるんですよ…」と不満を漏らしていました。

これだからYouTuberは…と思ったが、私もやっているので人の事は言えないかぁ…でも私はちゃんとわきまえてます。

ここはアパートでいうところの5階部分になります、当時はエレベーターというものなんてありませんから、それを1階から最上階まで上がるのは大変ということで5階より上の人はここアパートの裏側から入り5階より下の人は表の道路からアパートに入るという仕組みになっているそうです。

これが表側からの外観で、最も有名だそうです。

学校です、現在は3人の生徒さんが通っているそうです。

他にも島内の診療所や昔は映画館だった所で現在は宿泊施設になっている建物を見てツアー終了。

私は夕陽がよく見える場所に降ろしてもらい、この海水から真水を作っていた施設を撮影してみました。

夕陽が建物に当たり、錆が綺麗に映えています。

錆びて朽ちていくこの建物がなんだか儚くて…もしかしたら10年後20年後には建物として存在できていないかもしれないと思うとこのタイミングでここに来れてよかった。

係りの方曰く、あと数年は一応ツアーをやることになっているけど…それ以降はできるかどうか分からないとおっしゃっていました。

うん、たしかにツアーの件もそうだけど…私は島民が少なくなっていることからいずれは無人島になるんじゃないかと…そして、端島みたいになるんじゃないかと懸念している。

そうなれば、完全にツアー化されるか上陸自体ができなくなるのではないかと…そうなるとちょっと残念だなぁ。

*個人的な考えです。

ペンギン水族館

2024.11.12(火)

滝を見た後はペンギン水族館へ、ここは昔自転車で日本を縦断した時に立ち寄ろうと思ったのですが…たしか当時その日が休館日だったと思います、なので今回はリベンジです。

早速チケットを購入し館内へ。

キングペンギンの剥製がお出迎え、左がオスのギン吉で右がメスのぺぺだそうです。

なんでもこのギン吉くん世界最長飼育記録の持ち主だそうで、39年9ヶ月15日間だそうで、約40年近く行きたことになります!!

入り口を入るといきなり巨大水槽が見えます…そこにキングペンギンの置物が水槽を見ているんだけど…シュールすぎるぞ!

見たかった『ペンギンビーチ』は鳥インフルエンザの影響でしばらく中止だそうです…見たかったんだけど、こればっかりはしょうがありません。

私もペンギンは好きなのでペンギンファーストです!

この飼育しているペンギンを海で泳がせるというのは世界でもここだけだけだそうです。

左から二番目の子は飛び込みそうでなかなか飛び込みませんでした。

2階の展示室は寒い地域のペンギンだそうです…近くで見ると…デカイ…迫力ある!

でもこれはキングペンギンで、さらにデカイ皇帝ペンギンも見てみたいですね〜、南極行かないとなぁ。

ペンギン以外にもタコ、ウツボ、タガメ、なども飼育していました。

うわぁ、ヤンキーが集ってるみたい。

やっぱり格好いいですよねぇ〜日本では絶滅危惧種ですが、東南アジアのタイなんかに行くと素揚げにして路上で売っていました。

私なんかは、「えっ〜食べるのもったいない〜」って感じで食べませんでしたけど。

なんでも長崎の西側の海沿いはサンセットロードと言うそうでサンセットが綺麗だそうで、見ていくことに。

たしかに凄い!!

裏見滝

2024.11.12(火)

今日は朝から滝を見ようと思って早くから活動。

ってかシャクナゲってこんなに種類あるの!?

さぁ、階段を降ります…けっこう降ります。

シャクナゲが咲いてます…えっ!この時期って咲くの?

まぁ、最近暑かったしなぁ…狂い咲きか?

滝が見えるところまで来ました…「えっ〜水がチョロチョロ…嘘だろぉ〜」

一番下まで来ました…これでまともに流れていたら迫力あったんだろうなぁ。

とりあえずお参り…なんか、岩が落ちてきそう。

「おぃ!落石の為立ち入り禁止だと!!落ちてきてんじゃねぇか!!滝が流れていない上に滝の裏側に行けないだと💢」

がっかりして、降りてきた階段を登って帰ります。

志田焼

2024.11.11(月)

佐賀県嬉野市にある志田焼きの里を訪れました。

志田焼きは1700年頃からこの志田地区で始まったそうです。

ここは大正から昭和の終わりくらいまでの石を砕く粉砕機、大窯、志田焼きの展示などが見れます、もちろん絵付け体験とか透し彫り体験もできるそうです。

窯内でコーヒーをセルフで飲めるようになっています。

こんな感じでかなりオシャレでとても窯の中とは思えません。

こっちは日本一の大窯だそうです。

内部はこんな感じですごく広くススがいい感じです。

中では陶芸の体験をできるみたいです。

近くに志田焼を扱うお店があったので立ち寄ってみることに。

店内には志田焼はもちろん、他の焼き物、お皿にマグカップなども置いていました。

志田焼きは昭和30年までに火鉢が盛んに作られたそうで、志田焼きの特徴として絵を縁ギリギリまで描くというものだそうです。

志田焼きは昭和59年でその幕を閉じたそうです、なので今はもう作っていないということで今回は湯呑みを購入しましたが…夜にこの火鉢の写真を見ているとなんかどうしても欲しくなって…2日後に再訪し丼と火鉢を購入しました。

これがここを訪れた日に購入した湯呑みです、裏には有田焼と入っています。

なんでもお店の方曰く、これは志田焼きとしては売れなかったので有田焼と書いたそうです…当時は有田から全国に輸送していたということもあるそうです。

それを聞いた時に、そういえば昔どこかの資料館でそんなことを書いてあるのを読んだなぁ〜と思った。

この丼と火鉢は2日後に再訪した時に購入した物です。

これが昭和30年代に作られた火鉢…60歳以上ですか…。

今回まじまじと火鉢を見る機会があって…でも正直今の時代に火鉢って…?と思ってこの地を去った後にいろんな地域で火鉢を火鉢として利用していない事に気づいた!!

その利用方法はメダカを飼う容器にしていたり、観葉植物の鉢カバーとして使用していたりとさまざまだった。「へぇ〜こういう使い方もあるんだ!」と思った。

でも私としては今後この購入した火鉢を火鉢として使いたいなと考えています。

武雄神社

2024.11.11(月)

今日から佐賀に入りました、まずは武雄神社へ。

ここ武雄神社には樹齢3000年の大楠があるそうで、最近ではTVの撮影とかもあったみたいです。

今日は朝からいい天気、昨日は午後からずーっと雨でちょっとうんざりだったので。

夫婦檜(めおとひのき)だそうです。

神社…だよなぁ?すごいなぁこの石垣。

なんでもこの鳥居は市指定重要文化財になっているそうです、うーん、明神鳥居だけど…何が違うんだ?

この鳥居はこの地域独特のものだそうで下部が太く3本注継で形成されているのが特徴だそうです。

たしかに見ると、柱が3パーツになっている…ふーん。

お参りをして神社の奥へ。

この道もすごく雰囲気のある道で心が落ち着きます。

そして…これが樹齢3000年の大楠!!

凄いなぁ…なんか階段ついてる。

うん、これは御守りの絵になるわ!!

ワンピース像2

2024.11.10(日)

震災ミュージアム(KIOKU)から熊本市内の方に向かっていると、なんだか見覚えのある道の駅があったので立ち寄ってみました。

道の駅大津「おっ!ここ日本縦断した時に滞在したところだ….あの日は雨降ったんだよなぁ〜ここのレストランで赤牛丼食べたんだよなぁ。懐かしいなぁ〜。」

ホンダの二輪の工場があるからかなぁ?

ゾリ先輩!!

チョパエもん!!

そして我らが船長ルフィ君!!

こうして見る後ろ姿もかっこいい!!

震災ミュージアム(KIOKU)

2024.11.10(日)

ここにはロビン像があるということで来てみた。

駐車場の前にあるこの鉄の物体は昨日見た橋の一部だそうです。

この山のはげた部分が地震で崩れた部分だそうで、その下にあった集落とかが被害にあったそうです。

KIOKUの展示物には原型を留めていない車、町の写真などが展示されていました。

そして、屋外の施設へ…あれ?なんかこれTVで見た記憶がある…たしか遠隔操作で建物内部へ入っていって内部の被災状況を見るものだった気がする…そこで、ガイドさんに訊いてみた。

「あのぉ〜ここって何年か前に遠隔操作で内部へ入っていくのやっていませんでした?」

すると、ガイドさんは「あっ!それ私出てました!!よく覚えてましたね!もう4年くらい前ですね。」とのことだった。

階段が折れて下の階に垂れ下がっています。

そしてこれが断層で、今年の元旦に起きた能登半島地震(縦ズレ)とは違い横にズレた断層だそうです。

たしかに能登半島地震をテレビで見たが、縦に数メートルの段差があったのに対して、これはほぼ並行で段差がないのが大きな違いだそうだ。

ガイドさんの話ではこの断層の保存は大変だったそうです、屋根をつけ断層の周りにモグラ対策のシートをつけたりの対策をしたそうです、そうしないとこのような断層はすぐ分からなくなるそうです。

ここの建物はもともと九州東海大学の情報処理系の大学だったそうで、当時多くの学生がここにいたそうで、実はこの地震で亡くなった生徒さんがいたそうです。

正面からの写真ですが一見すると被災した建物には見えませんが、下の部分の部分が…

こう…ズレています。

柱が、サッシが、壁が今にも崩れそう…建物内部にあるカレンダーは当時のままの4月で止まっていました。

もともとこの建物は一つのつながった建物でしたが、崩れそうな状態なので解体し3分割したそうです。

右の建物と中央の建物では45cmほど段差ができたそうです。

ワンピース像

2024.11.9(土)

豊後森機関庫公園から移動して熊本県の阿蘇地域に入りました。

峠を下ったところにローズガーデンはな阿蘇美でバラが咲いているそうなので立ち寄ることに。

ここは以前阿蘇山に登る時に立ち寄ったのですが、残念ながら1週間ほど早かったのでみることができませんでしたが、今回はみることができました。

綺麗な形としっかりと色が出ていました…私の家のはここまで綺麗な形にならないんですよね。

阿蘇駅の目の前に…

きました!ウソップ!!道の駅あそには以前来たことがあったのですが、ウソップ像があることは知りませんでした。

次の目的地に移動中に何やら石碑があったので立ち寄ってみると…

あらら…何があった!?

説明文には2016年4月16日の熊本地震で橋が崩落したそうです。

凄まじいなぁ…。

南阿蘇鉄道高森駅に到着しパシャリ。

列車…あぁ、海列車か!

そして本日最後は萌の里でナミの像。

豊後森機関庫公園

2024.11.9(土)

原尻の滝から移動し、次はこちら豊後森機関庫公園。

この機関車は大正時代に製造された物だそうで、1945.8.9(昭和20年)に長崎に原爆が投下された時期には被災された方々を乗せて人命救助に貢献したそうです。

で、やっぱり大正時代というと…漫画鬼滅の刃の無限列車って感じですよね。

そして、この白い古びたドアに黄色の椅子…新海誠さんの作品『すずめの戸締り』の背景のモデルとされているところのようです。

たしかに、こんな感じだった気がします。

うん、こんな感じ。

でもこうしてみてみると、奥の建物のガラスが歯抜けになった感じとか吹き抜けな感じがすごく私は好きです!!

最後に陸橋から撮影してみましたが…ちょっと遠い…スマホではこれが限界かなぁ。

でも綺麗に撮れた方だと思います。