2024.3.30(土)
ここ数週間の間は戦争関連について見学していることから、今回は大分県大分市にある予科資料館を見学することに。
そもそもここの事をどうやって知ったかというと、大分県の宇佐にある平和資料館を訪れて『永遠の0』を観たくなって、見学したその日にレンタルビデオ店で借りて来てそのエンドロールで小さく大分予科資料館と表示されている事に気づいたのがきっかけです。
そこで、予科練資料館と検索すると…茨城県にある予科練平和記念館と出てくる…うーん、違うんだよなぁ。下にスクロールしていくとその下の方に出て来たが…来年の8月に閉館と書いてある…開いてみると、2024年の8月14日に閉館するという事だそうだ。
もっと詳しく言うと見学は5月下旬までと書いてある、聞くと2024年5月26日(日)に一応終わりになって8月14日に閉館となるそうです、その後は展示されている収蔵品を護国神社に保存されるそうです。
ホームページを読んでいると、見学は予約制で土日だけだそうで予約フォームから申請をしたが…特に返信もなかったので、電話番号を調べて電話してみるも「現在使われておりません。」だったので、直接行ってみる事にしました。
最近やっと桜が咲いてきて綺麗に咲いていました。
朝9時頃に来てみるも、開いていない…入り口のところにある戦闘機のポスターを眺めながら「やっぱり、予約しないとダメなのかぁ〜、でも予約フォームも電話もダメだったんだよなぁ。どうしたもんかなぁ〜。」と考えていると同時にもう帰ろうか思っていると、背後に人の気配を感じたので振り返ると自転車を押して下り坂のところにおじさんが立っていた。
どうやらここの方で、事情を説明すると快く見学をさせてもらうことに、でも偶然にもこの日は予約が入っていたので見学できたのだと思う。
鍵を開けていただき早速見学させてもらう事に、所狭しと貴重な資料や当時の物が置かれている。
この下の写真の赤枠で囲っている右側の子犬を抱いた写真は見覚えがあった、これは鹿児島県の知覧特攻平和会館で見た写真。
左の赤枠はそれをイメージ絵にして曲を作ったそうで、館内で流していました。
零戦の機体の外板の一部、ここの資料館の凄いところがこうして展示してある実物に触れることができるということ。
持ち上げてみたが、軽いそして薄い。
これはハンモックだそうで、これは貴重な品らしい…たしかにあまりハンモックを使っているイメージってないなぁ。
この下の写真の人間魚雷かどうかは分からないんですが、知覧特攻平和会館の所にも人間魚雷の資料と映像があったような気がする…人間魚雷のことは昔読んだ漫画『特攻の島』でちょっと読んだことがあったので存在自体は知っていたんだけど、実際に知覧特攻平和会館で見たので「これが、そうなの?」ってなった記憶がある。
コレがどうやら人間魚雷に取り付けられていた部品だそうで、これも貴重な品だそうです…というより、ここにある物全てが貴重な物で貴重な資料だと思う。
赤枠の部分に取り付けられていたそうです、ちなみにこれも持ち上げてみたのですが…コレは重かった。
こちらは120年ほど前の物だそうで、120年前の紙がこんなに綺麗に残っているのは凄いと思う、書かれている漢字も昔の漢字を使っていてちょっと読みずらいし意味を理解するのも難しかった。
スタッフの方が、団体見学が来る前にすごいの見せてあげるとガラスケースの鍵を開けて一丁の銃を取り出してくれた。
それがこの九九式という銃だそうで、この菊の紋と九九式の刻印が残っているのは珍しいらしく、そもそも残っていてもこの刻印が削られているものが多いそうです。
持った感じ3〜4kgくらいかなぁ、割とずっしりしていて銃先には短剣を取り付けて銃剣としても使用していたそうです。
潜水艦の窓ガラスだそうですが、分厚いです…コレも結構重い。
この手のガスマスクはいつ?何の用途?で使用していたんだろう?
こうして顔に当ててみたが、目のガラス部分はくすんでいて見えづらかった。
コレは神雷部隊の方の所にあった資料を読ませてもらった。
鼓舞するようなことも書かれていた…コレは最後のページだったと思うんだけど、鬼畜米英って…いや、それよりも字が綺麗。
神雷部隊ってこの後にも紹介しますが、前回宇佐平和資料館で見た『桜花』に乗って特攻していく部隊で、自分が同じ立場にいたらこんな綺麗な字なんて書けないと思う。
特攻直前に書いたかどうかは分かりませんが、桜花に乗る🟰確実に死ぬって状況…私なら手とかが震えてこんなしっかりし字はたぶん書けないと思うので、これを書いた方は覚悟が決まっていたんだろうか?それとも最後にある鬼畜米英とあるように欧米の方への恨みの方が強かったのかなぁ?
コレが桜花というエンジンを持たず、自分で飛び立つことが出来ない桜花。
たぶん、前回宇佐平和資料館の記事で誤った事を書いていたと思うので前回の記事は後に訂正します。
今回はこのような図と資料とスタッフさんの説明を聞きました。
この大型の戦闘機の下側に桜花を引っ付けて目的の戦艦近くまで運んで切り離して特攻していくということらしいです。
しかも、桜花を切り離すタイミングは大型の戦闘機のタイミングで切り離されるようになっているそうで桜花に搭乗しているパイロットのタイミング(自分のタイミングで)行けないってのもなんだか辛い話だなぁ。
最後にスタッフさんからこの国旗について教えてくれた。
本来は上まで上げている旗ですが、半分ほどの所まで下げるとか一番上から旗一個分下げたところで掲げるのは亡くなった方を尊重して旗を掲げているそうです。
色々教えて下さったスタッフさんと現在の館長さんありがとうございました。
ここで『予科練の群像』という本を購入して現在も読んでいる途中ですが、当時の方々の訓練時の体験とかを綴ったことを読むことですごい時代だったんだなぁ、今では考えられないなぁ〜と思います、理不尽に殴られたり気合いが足りんと棒で叩かれたりと…。
前館長さん川野喜一さんの言葉に「今日、自由と平和を謳歌することの出来るのは、彼等英霊の、身を挺して国に殉じた礎が、あったからだと確信している。」とある。
ほんとそうだと思う、彼等英霊の犠牲の上に今の平和な日本があると思う…これからも平和でありますように…。
最後に、このような資料館がなくなるのは非常に残念です😢
ここ予科練資料館は実際に使われていた品々に触れることができ、戦争の重みを肌で感じることができる唯一の資料館だと思う。
他の資料館では絶対に出来ない現物に間近で見て触れることができる唯一無二の資料館です。
閉館される前までに訪れることをお勧めします。
私ももう一度伺いたいです。