宮若トレッジと竹原古墳

2024.7.25(木)

今回は福岡県の宮若市にある宮若トレッジへお邪魔しました。

ここはなんでも、廃校になった小学校を利用して2022年に文化財の収蔵施設になったそうです。

こうした廃校を再利用するのはよく見かけますが、文化財の収蔵や展示は初めて見ました。

九州には多くの装飾古墳があり、それに関する資料やレプリカの展示をしていました。

一番奥から見学していきます。

これが竹原古墳の石室に描かれている絵なんですけど、最も特徴的なのは真ん中の上の方に描かれているデカイ馬のような物は龍だそうで青龍とだと言われているそうです。

この入り口のところには玄武、朱雀が描かれていて、四神の内三つが描かれているということだそうです。

実際に埋葬されていた服飾品で馬具だそうです。

いらっしゃいました。この横のテレビで竹原古墳の概要VTRが流れていますが、これは竹原古墳のところでも見れるので竹原古墳に入る方はここで見る必要はないです。

この地域は招き猫が特産品だそうで、なんでも昔猫を可愛がる寺の和尚さんがいて、寺に大ネズミが現れて、それをその猫と仲間が退治して、力尽きた猫を供養したとか。

宮若トレッジからちょっと離れたところに竹原古墳があり、下の受付で220円の入場料を払い神社の階段を登っていきます。

この階段の左手の方にあります、竹原古墳は神社にある相撲場を拡張しようとした時に石室が現れた事で発見されたそうで、時代的には6世紀終わりくらいと考えられているそうです。

竹原古墳はもちろん国史跡なので装飾古墳の撮影は禁止なので、受付でもらったカードがイメージです。

実際に見てみると、まず思っていたよりもずっと綺麗で色がはっきり残っているということ、特にさしば(団扇みたいなの)赤(オレンジ)と波型紋の縁取りされている赤はクッキリです!!

手前の玄武と朱雀はよく分かりませんが奥の絵はかなり状態がいいと思います。

あとすごいと思ったのが、奥の絵の上に石を積んでいるのですが、これがまた綺麗に積んでなるべく隙間がないように積んでいるところ。

宮若トレッジにあったレプリカの色とは全然違うのでこれはみる価値があります!!

がまだすドームと土石流被災家屋保存公園

2024.7.20(土)

麓まで降りてくると、普賢岳が全快で晴れてやがる…午後から登れば良かったのか?

まぁ、時間がないのでうだうだ言ってもしょうがありません!

急ぎ次の目的地に向かいます。

がまだすドームという災害資料館です。

入館する前にちょっと気になるものが…

えっ!龍馬像!?なんか日本代表のユニホームを着てる!!

全くサッカーに興味はないですが、坂本龍馬には興味があるのでパシャリ!

そうだよなぁ、ここ長崎県だもんなぁ、ゆかりある地域だもんなぁ。

では改めて、がまだすドームへ恐竜のオブジェがお出迎え!

この恐竜の目が凄いんですよ!!

これ!すごくクオリティ高いんだけど…奥側の恐竜の目はちょっと雑なんだよなぁ。

屋上にはこのように東日本大震災の時の津波到達地点が記されていました!

この資料館には溶けた取材陣のビデオカメラとか、ガードレール、バイクなど当時の災害の凄まじさを物語る品々が展示されていました。

また、入り口入ってすぐのところにある映像も迫力があり、再現VTRも緊迫感があって見応えがありました。

普賢岳は1990年に198年ぶりに火山が噴火を始め、1995年に停止したそうです。

しかし、あの平成新岳で噴火した土石流がこの辺りまで流れてきているのだから凄まじいよね。

この普賢岳の災害(火砕流)で43名の方が亡くなられたそうで、ご冥福をお祈りします。

朝いた場所に再び戻ってきて、土石流に飲まれた家を見学することに。

これを見た瞬間に「えっ!どうゆこと!?地面に屋根?ん?」

そして、建物内にはこのように3棟かなぁ?家が土石流に飲まれているのを保存しているみたいです。

この家の中まで石と土が占拠している状態を見ると…これはひとたまりもないなぁ、どうすることもできなかっただろうなぁ。

これをどの角度から見てもやっぱり不思議でなかなか理解が追いつかない。

いい山でしたぁ〜、でも噴火はしないで下さいね。

長崎へ突入、雲仙岳へ。

2024.7.19(金)

長崎県に入ると、フルーツのバス停があります。

いいですよねぇ〜こういうの。

本日の目的地が見えましたが…曇ってんなぁ。

だいぶ近づきましたが…あぁ、見えねぇなぁ。

あれが雲仙岳(普賢岳)。

明日はあれに登るぞぉ〜。

鹿島市周辺

2024.7.19(金)

今日の目的地に向けて更に南下していくと、道の駅かしまと言うところに立ち寄ってみた。

どうやらここでガタリンピックという泥まみれになって行う競技が開催されるそうです。

干潟に入るのにはどうやら色々手続きしないといけないみたいだ…しかし、今日、私は泥にまみれる気分ではないのでまた今度。

ミニ水族館があるそうなので行ってみることに。

これが…ワラスボ!!

近くで見るとたしかに凄い面構えだけど…干物になっているワラスボが印象的すぎて生きているワラスボはそこまでエイリアンしてないなぁ。

これはトビハゼという奴らしくムツゴロウによく間違えられるそうだ、私もみた瞬間これがムツゴロウ?と思ったくらいだ。

道の駅を更に南下して行くと、海に続く3連鳥居があるということで立ち寄ってみる。

現在は干潮なので奥まで歩いてみる。

そもそも、なぜこんなところに鳥居があるのか?

近くにあった説明によると…

むか〜し、昔(約300年ほど前)悪代官がいて、その悪代官をみんなで沖にある島へ誘いそこで宴をもようし悪代官を島に置き去りにしました。

沈みゆく島と悪代官、悪代官は竜神様に助けを求めると魚が出てきてその背に乗って元の場所へ帰って来れたとか…その時に沖に鳥居を建てたそうです。

この写真は構図とかがお気に入り!

佐賀を観光しているとよく目にするゾンビランドサガ、残念ながらこのアニメは見たことがないのでよく分からない。

祐徳稲荷神社

2024.7.19(金)

本日の目的地の祐徳稲荷神社へ来ました、なんでもここは日本三大稲荷の一つだそうです。

ちなみに、日本三大稲荷は京都の伏見稲荷、茨城の笠間稲荷、佐賀の祐徳稲荷だそうで私はこれで京都の伏見と佐賀の祐徳に参拝したので残すは茨城の笠間。

大鳥居を抜けてお店を横目に進みます。

手水舎も立派です!でも、私コロナ以降手水舎で清める事を辞めちゃったんですよね…ごめんね許してね。

こうしてみると、凄い立派!まじで圧巻です…さすが日本三大稲荷。

楼門をくぐると更に凄い景色が広がっていました!!

ちょうど風鈴を飾っていて綺麗でした!!もちろん風でなる風鈴の音もこの季節にちょう合っていて良かったです。

では早速、御本殿を目指して階段を上がっていきます。

到着してお参りをして、奥の院へ。

やっぱり稲荷はこの連続する赤鳥居ですよねぇ〜、ちなみに奥の院までの坂道や階段は結構きついです…登山をしている私でも「あぁ、地味にきついなぁ。」と思うほどです。

坂道、階段を登ること15分…ようやく到着しました。

奥の院からの景色は絶景でした。

天気が良かったので写真映えします!

さっき昇開橋のところで色々教えてくれたおじさんに次は祐徳稲荷神社に行きますと言うと…「あぁ、そこには糸切り羊羹ってのがあって…まぁ、行きゃ分かる。」と言っていたのが頭の中にあって購入しました。

蓋を開け、下から羊羹を押し出して好きな長さで糸を巻いて切って食べるという羊羹をいただきました。

甘すぎず、中に小豆が入っていました結構なズッシリ感だったのでこの一本でお腹いっぱいです。

美味しかったです、ごちそうさまでした。

天吹酒造と筑後川昇開橋

2024.7.19(金)

今日は朝早くから天吹酒造さんにお邪魔して私の大好きなブラッドオレンジ梅酒を購入しようとやってきました。

訪れる直前に知った事なんですが、酒蔵見学ができるみたいです…見たかったなぁ。

*1週間前に事前予約が必要みたいです。

そもそも私がなぜここのお酒を気にっているかというとですね…

昔々ある居酒屋で飲んでいる時だった、酔った私は店員さんに「このお店のメニューに載っていない隠し酒はありますか?」と聞いたのが始まり、そして店員さんが持ってきたのがこのブラッドオレンジ梅酒でした。一口飲んで衝撃を受けました!!「なんだよこれ!美味っ!!」その後も何杯もおかわりしました。という昔話です。

なんとも雰囲気のある佇まい、好きですよぉ〜この感じ。

お店の方のご好意でちょっと見せていただける事になりました。

正面に見える木は楠だったかなぁ?説明してくれたんですけど…ちょっと忘れちゃいました、樹齢はたしか…300年以上だったような。

井戸って丸いイメージしかなかったから、このような多角形の物は初めて見ました。

酒蔵をちょっと見させていただきました。

この色と模様がなんともかっこいい!!

今回購入したブラッドオレンジ梅酒と桃のリキュール。

お店で見ている時に、なんだか昔とラベルが違うから本当にこれかなぁ?って、でも雰囲気は同じなんですよね。

桃のリキュールが出ていることも知らなかったので、購入しました。

いまだに禁酒しているので、解禁したら真っ先に飲もうと思います..まじで楽しみ!!

この箱もすごくセンスが良くてカッコイイです!!

ちなみにこれが随分前に購入した時のラベル。

天吹酒造を後にして川沿いを南下して行っていると、国道444号線、そして奥には赤い橋が見える…行けるのかなぁ?行ってみよう。

近づくとこんな感じで、多分おそらく真ん中が上に上がるようになっているんだろうなぁ?

もっと近づいてみよう。

こんな感じです。

ここに係りの方が二人いて、懇切丁寧にこの橋について教えてくれました。

これは当時船の往来用に機能していた信号機で今は動いていません。

この下の写真の下の方に1933と書かれていて、これを製造した年だそうです。

その下には線が12本入っています、これは月を表しているそうで12月ということだそうです。

他にもたくさん教えて貰いました。

夜はライトアップをしているそうです。

喉が渇いたので、道の駅にあったこのワラスボが巻き付いているエナジードリンクを購入しました。

大塚装飾古墳

2024.6.22(土)

今日は福岡県の桂川町(けいせんまち)にある有名な古墳に来ました、あいにくの雨ですが、博物館なのであまり気にせず活動できます。

あいも変わらず開館と同時に入館して早速お勉強。

入り口の所に…吉村作治先生が!!来られてたんですね!最近『クレイジージャーニー』でもエジプトスペシャルに出演されてるの見ましたがこの歳になっても情熱を注ぎ込める先生に頭が上がりません。

これは館内にある装飾古墳のレプリカです。

この大塚古墳は年に2回一般公開がされているそうで、4月と10月だそうです。

ちょっと見たいんだけどなぁ〜…その時期は無理なんだよなぁ。

実際に古墳を見てみる事に。

この先に装飾古墳があるんですね。

こうして見てみてもやっぱりただの小高い丘でしかないんだよなぁ。

装飾古墳は九州に多いみたいです。

しかし、古墳って日本全国に凄い数あるんだけど、その形をとどめて現在まであるっていうのが凄いよね。

古墳時代って3世紀〜7世紀(西暦で300年〜700年)くらいまでだけど、千数百年この大塚装飾古墳に関しては540年頃って考えられているんだけど、単純に1500年。

ここの調査でこの古墳の土は違う質の土を何層にも重ねて作ったそうで、イメージとしてはミルフィーユみたいな感じ、そうすることで雨、風、衝撃などに強い構造になるそうです。

例えば表面に粘土質のような土を置くと耐水性があるので雨に強く、その下に小石とかの層を作ると排水性がよく水のダメージが軽減されるといった特徴があるみたいです。

よく昔の人はこんなことを知っていたよなぁ、感心する…でもどうやらこれは大陸(中国)で用いられていたそうで、その文化や技術が日本に入ってきたという感じだそうだ。

ちょっと寄り道。

土師窯という窯元があるというのを情報誌でみたので立ち寄ってみた、その情報誌の紹介では昔ながらの製法で作っているそうで、蹴ろくろや登り窯などで作っているそうなので事前に電話をして店内を見せてもらう事に。

しっかし、蹴ろくろとか登り窯なんて言葉ほんの1週間前に有田と伊万里で覚えた言葉がこうして出てくるとは思いもしなかった。

店内は家に上がる感じのギャラリーになっっていたので、短パンにビーサンなんて格好できてしまってほんと申し訳なく思いました、親切にもタオルまで持って来ていただきました。

なんでも話を聞くと、唐津焼だそうで…たしかに荒い土を使用していました、私の持っている蛇蝎(だかつ)よりも荒い土質でした。

ギャラリーには普段使いするお皿とかコップ、などがありました、また茶道に使用する物とかもありました。

すごく綺麗な器があって釉薬の色形が理想的な物だったのでそれについて聞いてみると、本来は湯呑みとかではなくキセルとかの火を入れておくという用途の代物だそうで、私的には容量とか形、色が本当にいいなぁと思って値段を見ると5万円くらいしていたのでまた今度だなぁと諦めました。

そこで、今回はカップを購入することにこのカップだけ黒色に茶色の色が出ていて良かったので購入しました。

これもまた口当たりがいいです。

有田・伊万里

2024.6.16(日)

朝の開館と同時に有田町立歴史民族資料館でお勉強。

有田といえば陶器が有名ですよね、やはりこの資料館でも有田焼についての資料が多く面白かったです。

館内で流れている動画も昔の製法と現在の製法の違いなどが見れてとても勉強になりました。

館内で流れていた動画であった昔の道具で石を細粉する道具です。

水の力を利用して、石を砕いて粉状にしてそこから成土していくという感じだそうです。

ここは資料館のすぐ近くにある泉山陶石の採掘場で現在は採掘されていません、ここで磁器の原料が発見されたことでそれまでは陶器が主流だったのに陶磁器の生産に大きく変わっていったそうです。

ちなみに…陶磁器ってあるけど、たまに陶器、磁器って表記もよく見かける…陶器と磁器ってなんなんだろう?正直今回この地域を訪れるまで知らなかったんですが…陶器の原料は土で、磁器の原料が石だそうです。

有田焼とか伊万里焼ってイメージとして白い器に青い模様だったり絵だったりが書かれているとか人形とかのイメージが強い…焼き物で白色というのがこの岩の白さから来ているというのを今回知れた。

そして、これも知らなかったんですが有田焼とか伊万里焼の元は唐津焼だそうですね。

最近よくこのマンホールを見かけるけど、いいですよねぇ〜、他にもポケモンとかも見かけますし。

ちょっと移動してまたお勉強、今度は佐賀県立九州陶磁文化館へお邪魔しました。

これだけの展示物がありながら入館料が無料というのは凄いです。

有田焼のからくり時計です。

ある程度のお勉強が終わったので、町を散策。

焼き物を売っているメインストリートの所に無料の駐車場があってそこから色々なお店で見てまわりました。

残念ながら、有田では今回購入はしなかったんですが魅力的なお店はいくつかありました。

ちょっと移動して今度は伊万里の方へ。

有田焼、伊万里焼ってすごく有名で佐賀県にあるって事くらいしか知らなかったんですが…隣町同士なんですね、知りませんでした。

この路地の感じとかすごく好きです。

ちょっと坂を登った所に気になる看板がありました。

鍋島青磁…朝から二つの博物館を巡っているとよく目にした鍋島様式と柿右衛門様式…それに青磁…青磁ってたしか高級品だよなぁ?なんか昔発掘の仕事をしていた時にそんなことを聞いた記憶がある。

この鍋島様式というのは佐賀県藩主鍋島家が将軍家に献上するために作った製品で、将軍家に献上するので当然質は一級品。

一方柿右衛門様式はヨーロッパの王族とか日本の大名家に向けたこちらも高級品で、色絵磁器という感じで白い器に赤とかオレンジとかで絵が描かれています。

お邪魔することに、店内ではすでにお客さんがいてお店の人が説明をしていた…ついでに私も聞いていた。

先客は帰って行き、お店の方もそのタイミングで交代、入れ替わって出て来たのはお婆ちゃんで今度はそのお婆ちゃんが私に色々と説明をしてくれた。

青磁というのはやはり高級品で、その青を出すのがとても難しく窯の温度とかとにかくデリケートな代物だそうだ。

お店の端っこに一冊の本が置かれているのが気になったので手に取ってみると、N⚪︎Kの美の壺という本だった。

「えっ!美の壺って…あの?最近よく見てますけど…」

「あぁ、それはもう随分前ので取材に来たんですよ。」とのことだった。

そして、気になる湯呑みがあったのでお婆ちゃんに見繕ってもらった。

すると、会計の時にパンフレットみたいなのを見せてくれて…

「このお皿大英博物館に展示されているのよぉ〜、でね、前に来た外国のお客さんで大英博物館で見たって。でも常設展示じゃないだろうから博物館で偶然見た人がここに偶然来たんだから面白いよねぇ〜。」と話してくれた。

今回購入した青磁の湯呑みと、さっき言っていた大英博物館で展示されているお皿。

この窯元の青磁はずっしりと重く重厚感があります、器と口が触れた時の口当たりもよくすごく気に入っています。

これは、駐車場近くで購入した湯呑み。

こちらは陶器ですが、このヒビの入り方とかが綺麗で、底の部分のポッつってある支えが可愛らしですが、容量がちょっと少ないと感じます…ちょっと残念。

こちらも駐車場近くで購入した色が綺麗なぐい呑み。

このぐい呑みは店先の掘り出しカゴの中にあったのですが、十分綺麗でどこがダメなんだろう?というくらいの品物でした。

唐津城

2024.6.15(土)

名護屋城ついでにもう一つ見たいお城があったので次の目的地の途中にあるのでよることにしました。

唐津城、別名『舞鶴城』とも呼ばれているお城で、翼を広げた鶴のようだからだそうです。

築城には名護屋城の材料を使っていると伝わっているそうです。

駐車場を散策していると、このようなものを発見!

当たるといいね!!今回は時間がないので行きませんが。

石段を上っていくと立派な石垣が。

藤木がありましたが、残念ながら時期が終わったあと。

天守を見ると圧倒されます。

入場すると、館内にはお土産とかが売っているコーナがあって、2階より上は資料館になっていました。

天守からの眺めはよく天気もいいのでずっと向こうまで見渡せました。

多分これは北側の風景なんだけど、すぐ目の前が海で実はこのお城の凄いところがこの北側の海の部分位あるんです…それはおいおい。

お城から下りて来ました、さっき上で書いたおいおいの部分です。

この唐津城の石垣って海の部分から組み上げられているんです!!

私が訪れた時は潮が満ちていたので石垣の下の方は海に浸かっていました。

当時これを築くのは大変だっただろうねぇ。

名護屋城跡

2024.6.15(土)

呼子の朝市の見学を終えて、どうしても来たかった名護屋城跡へ。

言葉だけで聞くと、やっぱり愛知県の名古屋城を思い浮かべますよね…しかし、ここは佐賀県の名護屋城(跡)。

まずは資料館でお勉強、入館は無料でした。

館内には、縄文から近代までの資料が展示されていました。

この黄金の茶室はなんとも眩しくて、ここでお茶を飲むのは落ち着かないだろうなぁ〜と思いながら見学しました。

さぁ、いよいよ名護屋城跡をフィールドワークします。

まず、この名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵するためだけに築かれたお城で7年ほど存在していたそうで、その設計にはあの黒田官兵衛も携わっているそうで、ほんの5ヶ月ほどで城の基本的な部分は出来たそうです。

豊臣秀吉が朝鮮出兵に際して全国の大名に集結するよう命じたので、そこらじゅうに名だたる大名の陣が築かれていたそうです。

N◯Kで放送されていた大河ドラマでもよくこの地に集結する場面というのは描かれています。

矢穴の跡が凄い!

しばらく登って、開けた所に出ました。

今日の天気予報では曇りだったんだけど…全快で晴れてる…暑い。

強者どもの夢のあとだなぁ。

実際にこうして歩いて思うんだけど…よくこれだけの規模の石垣とか城とかを5ヶ月で築いたなぁ〜、感心します。

この先に強者どもが目指した朝鮮半島があるんですよね。