八面山 ★☆☆☆☆

2024.7.6(土)

今回は大分県中津市にある八面山、岩場があるということできてみました。

なんか久しぶりの登山、この梅雨の時期はどうしても晴れ間を見つけて行くしかないんですよねぇ。

まずは道の駅なかつで飲み物を買って出発します。

道の駅を左に曲がってまっすぐ道なりに走っていると、山道になり駐車スペースがあります。

この道沿いの駐車スペースは3台くらい止めれそうです、この奥にもちょっとしたスペースがあり4台くらいは止めれそうでした。

午前7時30分スタートしました。

1分くらいで登山口に到着、この左側にちょっとしたスペースがあります。

滝があるという事なので行ってみることに。

石段もあれば…

普通の道も。

いよいよ滝。

うん、ちょっと迫力に欠ける…。

ここからは岩が落ちてきそうな迫力のある道でした。

壁ドンするカエルさん。

ってかここまで車で来れるんですね…いやいや、ここまで車で来ると登山の魅力半減ですか。

しばらくは舗装された道を歩いてまた左にそれて登山道へ。

狭いです、すれ違いには注意しましょう。

このキノコデカすぎよ!

9時18分無事登頂しました、標高は659m。

第四展望地からのドローン写真、左奥は中津の街が見えます。

第五展望地からの風景。

10時45分に無事下山しました、今日はすごく暑く気温は30度を超えていました。

八面山は最初っから最後まで木の影ができていて直射日光が当たらないから幾分良かったかも知れません。

大塚装飾古墳

2024.6.22(土)

今日は福岡県の桂川町(けいせんまち)にある有名な古墳に来ました、あいにくの雨ですが、博物館なのであまり気にせず活動できます。

あいも変わらず開館と同時に入館して早速お勉強。

入り口の所に…吉村作治先生が!!来られてたんですね!最近『クレイジージャーニー』でもエジプトスペシャルに出演されてるの見ましたがこの歳になっても情熱を注ぎ込める先生に頭が上がりません。

これは館内にある装飾古墳のレプリカです。

この大塚古墳は年に2回一般公開がされているそうで、4月と10月だそうです。

ちょっと見たいんだけどなぁ〜…その時期は無理なんだよなぁ。

実際に古墳を見てみる事に。

この先に装飾古墳があるんですね。

こうして見てみてもやっぱりただの小高い丘でしかないんだよなぁ。

装飾古墳は九州に多いみたいです。

しかし、古墳って日本全国に凄い数あるんだけど、その形をとどめて現在まであるっていうのが凄いよね。

古墳時代って3世紀〜7世紀(西暦で300年〜700年)くらいまでだけど、千数百年この大塚装飾古墳に関しては540年頃って考えられているんだけど、単純に1500年。

ここの調査でこの古墳の土は違う質の土を何層にも重ねて作ったそうで、イメージとしてはミルフィーユみたいな感じ、そうすることで雨、風、衝撃などに強い構造になるそうです。

例えば表面に粘土質のような土を置くと耐水性があるので雨に強く、その下に小石とかの層を作ると排水性がよく水のダメージが軽減されるといった特徴があるみたいです。

よく昔の人はこんなことを知っていたよなぁ、感心する…でもどうやらこれは大陸(中国)で用いられていたそうで、その文化や技術が日本に入ってきたという感じだそうだ。

ちょっと寄り道。

土師窯という窯元があるというのを情報誌でみたので立ち寄ってみた、その情報誌の紹介では昔ながらの製法で作っているそうで、蹴ろくろや登り窯などで作っているそうなので事前に電話をして店内を見せてもらう事に。

しっかし、蹴ろくろとか登り窯なんて言葉ほんの1週間前に有田と伊万里で覚えた言葉がこうして出てくるとは思いもしなかった。

店内は家に上がる感じのギャラリーになっっていたので、短パンにビーサンなんて格好できてしまってほんと申し訳なく思いました、親切にもタオルまで持って来ていただきました。

なんでも話を聞くと、唐津焼だそうで…たしかに荒い土を使用していました、私の持っている蛇蝎(だかつ)よりも荒い土質でした。

ギャラリーには普段使いするお皿とかコップ、などがありました、また茶道に使用する物とかもありました。

すごく綺麗な器があって釉薬の色形が理想的な物だったのでそれについて聞いてみると、本来は湯呑みとかではなくキセルとかの火を入れておくという用途の代物だそうで、私的には容量とか形、色が本当にいいなぁと思って値段を見ると5万円くらいしていたのでまた今度だなぁと諦めました。

そこで、今回はカップを購入することにこのカップだけ黒色に茶色の色が出ていて良かったので購入しました。

これもまた口当たりがいいです。

有田・伊万里

2024.6.16(日)

朝の開館と同時に有田町立歴史民族資料館でお勉強。

有田といえば陶器が有名ですよね、やはりこの資料館でも有田焼についての資料が多く面白かったです。

館内で流れている動画も昔の製法と現在の製法の違いなどが見れてとても勉強になりました。

館内で流れていた動画であった昔の道具で石を細粉する道具です。

水の力を利用して、石を砕いて粉状にしてそこから成土していくという感じだそうです。

ここは資料館のすぐ近くにある泉山陶石の採掘場で現在は採掘されていません、ここで磁器の原料が発見されたことでそれまでは陶器が主流だったのに陶磁器の生産に大きく変わっていったそうです。

ちなみに…陶磁器ってあるけど、たまに陶器、磁器って表記もよく見かける…陶器と磁器ってなんなんだろう?正直今回この地域を訪れるまで知らなかったんですが…陶器の原料は土で、磁器の原料が石だそうです。

有田焼とか伊万里焼ってイメージとして白い器に青い模様だったり絵だったりが書かれているとか人形とかのイメージが強い…焼き物で白色というのがこの岩の白さから来ているというのを今回知れた。

そして、これも知らなかったんですが有田焼とか伊万里焼の元は唐津焼だそうですね。

最近よくこのマンホールを見かけるけど、いいですよねぇ〜、他にもポケモンとかも見かけますし。

ちょっと移動してまたお勉強、今度は佐賀県立九州陶磁文化館へお邪魔しました。

これだけの展示物がありながら入館料が無料というのは凄いです。

有田焼のからくり時計です。

ある程度のお勉強が終わったので、町を散策。

焼き物を売っているメインストリートの所に無料の駐車場があってそこから色々なお店で見てまわりました。

残念ながら、有田では今回購入はしなかったんですが魅力的なお店はいくつかありました。

ちょっと移動して今度は伊万里の方へ。

有田焼、伊万里焼ってすごく有名で佐賀県にあるって事くらいしか知らなかったんですが…隣町同士なんですね、知りませんでした。

この路地の感じとかすごく好きです。

ちょっと坂を登った所に気になる看板がありました。

鍋島青磁…朝から二つの博物館を巡っているとよく目にした鍋島様式と柿右衛門様式…それに青磁…青磁ってたしか高級品だよなぁ?なんか昔発掘の仕事をしていた時にそんなことを聞いた記憶がある。

この鍋島様式というのは佐賀県藩主鍋島家が将軍家に献上するために作った製品で、将軍家に献上するので当然質は一級品。

一方柿右衛門様式はヨーロッパの王族とか日本の大名家に向けたこちらも高級品で、色絵磁器という感じで白い器に赤とかオレンジとかで絵が描かれています。

お邪魔することに、店内ではすでにお客さんがいてお店の人が説明をしていた…ついでに私も聞いていた。

先客は帰って行き、お店の方もそのタイミングで交代、入れ替わって出て来たのはお婆ちゃんで今度はそのお婆ちゃんが私に色々と説明をしてくれた。

青磁というのはやはり高級品で、その青を出すのがとても難しく窯の温度とかとにかくデリケートな代物だそうだ。

お店の端っこに一冊の本が置かれているのが気になったので手に取ってみると、N⚪︎Kの美の壺という本だった。

「えっ!美の壺って…あの?最近よく見てますけど…」

「あぁ、それはもう随分前ので取材に来たんですよ。」とのことだった。

そして、気になる湯呑みがあったのでお婆ちゃんに見繕ってもらった。

すると、会計の時にパンフレットみたいなのを見せてくれて…

「このお皿大英博物館に展示されているのよぉ〜、でね、前に来た外国のお客さんで大英博物館で見たって。でも常設展示じゃないだろうから博物館で偶然見た人がここに偶然来たんだから面白いよねぇ〜。」と話してくれた。

今回購入した青磁の湯呑みと、さっき言っていた大英博物館で展示されているお皿。

この窯元の青磁はずっしりと重く重厚感があります、器と口が触れた時の口当たりもよくすごく気に入っています。

これは、駐車場近くで購入した湯呑み。

こちらは陶器ですが、このヒビの入り方とかが綺麗で、底の部分のポッつってある支えが可愛らしですが、容量がちょっと少ないと感じます…ちょっと残念。

こちらも駐車場近くで購入した色が綺麗なぐい呑み。

このぐい呑みは店先の掘り出しカゴの中にあったのですが、十分綺麗でどこがダメなんだろう?というくらいの品物でした。

唐津城

2024.6.15(土)

名護屋城ついでにもう一つ見たいお城があったので次の目的地の途中にあるのでよることにしました。

唐津城、別名『舞鶴城』とも呼ばれているお城で、翼を広げた鶴のようだからだそうです。

築城には名護屋城の材料を使っていると伝わっているそうです。

駐車場を散策していると、このようなものを発見!

当たるといいね!!今回は時間がないので行きませんが。

石段を上っていくと立派な石垣が。

藤木がありましたが、残念ながら時期が終わったあと。

天守を見ると圧倒されます。

入場すると、館内にはお土産とかが売っているコーナがあって、2階より上は資料館になっていました。

天守からの眺めはよく天気もいいのでずっと向こうまで見渡せました。

多分これは北側の風景なんだけど、すぐ目の前が海で実はこのお城の凄いところがこの北側の海の部分位あるんです…それはおいおい。

お城から下りて来ました、さっき上で書いたおいおいの部分です。

この唐津城の石垣って海の部分から組み上げられているんです!!

私が訪れた時は潮が満ちていたので石垣の下の方は海に浸かっていました。

当時これを築くのは大変だっただろうねぇ。

名護屋城跡

2024.6.15(土)

呼子の朝市の見学を終えて、どうしても来たかった名護屋城跡へ。

言葉だけで聞くと、やっぱり愛知県の名古屋城を思い浮かべますよね…しかし、ここは佐賀県の名護屋城(跡)。

まずは資料館でお勉強、入館は無料でした。

館内には、縄文から近代までの資料が展示されていました。

この黄金の茶室はなんとも眩しくて、ここでお茶を飲むのは落ち着かないだろうなぁ〜と思いながら見学しました。

さぁ、いよいよ名護屋城跡をフィールドワークします。

まず、この名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵するためだけに築かれたお城で7年ほど存在していたそうで、その設計にはあの黒田官兵衛も携わっているそうで、ほんの5ヶ月ほどで城の基本的な部分は出来たそうです。

豊臣秀吉が朝鮮出兵に際して全国の大名に集結するよう命じたので、そこらじゅうに名だたる大名の陣が築かれていたそうです。

N◯Kで放送されていた大河ドラマでもよくこの地に集結する場面というのは描かれています。

矢穴の跡が凄い!

しばらく登って、開けた所に出ました。

今日の天気予報では曇りだったんだけど…全快で晴れてる…暑い。

強者どもの夢のあとだなぁ。

実際にこうして歩いて思うんだけど…よくこれだけの規模の石垣とか城とかを5ヶ月で築いたなぁ〜、感心します。

この先に強者どもが目指した朝鮮半島があるんですよね。

呼子朝市

2024.6.15(土)

今日は佐賀県の北部にある呼子と唐津あたりを散策。

呼子は一度訪れているんですが、イカを食べただけなので今回はゆっくりみていこうと思う。

朝7時くらいに到着したので、まだお店は準備をしている感じだったので散歩を開始。

お店は7時半からお昼までだそうで、毎日開催されているそうです。

このイカの看板の先に形の変わった船が。

これは前回訪れた時も見たんですが、近くで見ると可愛らしいですよね。

クジラもあったんですね、遊覧船だそうでクジラは海の中を見れるようになっているそうで、イカは七ツ釜という岩場のところに行くそうです。

今回は時間がないので残念ながら乗れませんでした。

神社でお参り。

まだ7時30分をちょっと過ぎたくらいで、全然お店は開かないのでちょっと休憩してました。

9時を過ぎたのでこの中尾家屋敷を見学することに。

鯨組の屋敷はなんでも一般公開されているのはここだけだだそうです。

以前高知県に行った時にも鯨の博物館があって、そこでも鯨漁に関する資料などを展示してはいたんですが…このように昔の建物を見れるのはいいですね。

建物の太い柱とか昔の新聞が壁に貼り付けられたりと実に面白かった。

この建物の奥には鯨漁と鯨に関する資料などが展示してありました。

時間は10時過ぎ、随分と賑わってきたのでブラブラすることに。

美味そう…海賊焼きを一本購入。

最近焼き物に興味があるので、お店に立ち寄ってみたらお店の方が

「蛇蝎(じゃかつ)という唐津焼です、蛇のような鱗に蝎のような質感からそう言われていてこれを作っている窯元は少ないです。」

たしかになんか凄い!!

一個購入したんですが、この模様がなかなかいいです!!

障子ヶ岳 ★☆☆☆☆

2024.6.8(土)

アジサイの時期ですよねぇ〜。

アジサイでちょっと面白いエピソードを思い出したので書いてみようと思う。

2年前のちょうど今頃、日本をママチャリで駆け抜けていた時のことでその年初めて和歌山県の最南端あたりでアジサイを見た、で…北上して旅をしているのでアジサイ前線と一緒に北上するので結局7月の終わりくらい(北海道)までずーっと季節の花がアジサイだった。

味見峠桜公園に駐車し、準備して出発。

この公園をちょっと奥に行ったところに登山口がある。

6時30分にスタートしました。

自然のトンネルが素敵でした。

キノコ…毒かなぁ。

もう直ぐ山頂。

これが城跡…もうなんかゴルフコースみたい。

7時ちょうどに山頂に到着、標高は420mくらい…字が薄くてちょっと分からない。

ムラサキツユクサだそうです。

この絶景でいただくのはカロリーメイトチョコ味(朝食)

椎葉村

2024.6.2(日)

昨日久しぶりに野宿をして、朝早くに目が覚めた…6月に入ったとはいえ朝はまだちょっと冷える。

そこから椎葉村へ向けて出発…途中まではよかったんだけど…途中からもう道は狭くなるし、工事で迂回、標高も上がっていくので車のエンジンが唸る…車大丈夫かなぁ?

大泉さんの言葉を借りるなら、「工事工事、迂回迂回の高い高いの狭い狭い!!」さすが3大秘境。

私はこれで日本3大秘境(岐阜の白川郷、徳島の祖谷、宮崎の椎葉)を制覇したことになります。

道の駅から2時間くらいのドライブでようやく到着。

ここ椎葉村には観光客専用駐車場というのがあってとっても親切。

メインストリートを歩いていると、センスのいい絵があったのでパシャリ。

メインストリートをちょっと散策…

日曜日だからなのかほとんどのお店が閉まっていました…残念。

まずはここで歴史と文化のお勉強。

椎葉民俗芸能博物館…館内には椎葉村のお正月とかの行事のものなどを展示していました。

特に今回ここにきたかった理由は『柳田國男』実は今柳田國男の遠野物語を読んでいて椎葉村について調べていると、なぜかここでも柳田國男の名前が出てきたので気になったというのも理由の一つ。

なんでも柳田國男が初めて自費出版した本というのが『後狩詞記』という本でこの本の内容というのが椎葉村での狩猟だったり風土記について書かれたからこの椎葉村と柳田國男とゆかりがあるということだそうだ。

館内の4階から外に出て神社でお参り。

それから那須家住宅を見学。

椎葉ダムを見に行くことに…ここのダムはちょっと変わったダムの放水で見たかったのですが…残念ながら放水はしていませんでした。

そういえば最近雨降ってなかったもんなぁ…残念。

それでもここからの景色はよかったです、下の水の色がちょっと毒々しい感じ?いや、綺麗ということにしておこう。

本来はこんな感じで左右から放水するみたいです。

その後は、だいぶ離れるんだけど、『仙人の棚田』の展望台に行ってみたが…ここも道は狭く標高も上がる。

苦労してきた甲斐あってこの景色、棚田は好きでよくみに行くんですがこんな感じでこじんまりとした棚田もいいですねぇ。

椎葉村の町でお店が閉まっていたので、道の駅でそばを頂きます。

やっぱり、祖谷の時もそうでしたがこのような山ではそばの栽培がいいのだろうか?

美味しかったです。

最後に、大きなヒノキがあるということなので見に行くことに…ここも狭い道と急勾配を上り到着。

駐車場から歩くこと数分で姿が現れた!

ほんと立派だなぁ〜!もう少し近寄ってみることに。

この幹の曲がり具合とかが凄い!!なんか元気出た!!

また時期を変えて来てみたいなぁ。

メッセ日南

2024.6.1(土)

高千穂峰登山を終えてから、メッセ日南へ。

ここにモアイがあることは随分前から知っていたけど、なかなか行く機会がなくて…やっと来れた。

そもそもなぜここ宮崎にモアイ像があるのだろう?それと…本物?などいくつか疑問があったので実際に訪れてみた。

モアイ像はチリ沖にあるイースター島という島に存在していて、16世紀〜17世紀に部族間で内戦が起き、その時にモアイ像を破壊されたりしたそうです、そして風化、劣化が進みます。

そして、現在は放送が終了してしまいましたが…『世界ふしぎ発見』という番組で黒柳徹子さんがこのモアイの復興を呼びかけたのが始まりだったと記憶しています。

その時の功績が認められて、日本にモアイ像を複製する許可がイースター島の偉い人からの許可が下りたそうです、で、この日南に建設することになったそうです。

日本には他にもいくつかのモアイ像が展示されていたりしますが、たしか唯一本物のモアイ像が宮城県にあるみたい…これもいつかみに行ってみたいなぁ。

ここに着いたのはもう午後3時…閉館まであと2時間くらいしかない、ちょっと急足で見学。

駐車場を出て右行くと坂がありちょっと行くとモアイが見えた!が…人が多い…後回し。

一番上まで行くとこのようなオブジェがありました。

ちょと階段を下りるとこの景色。

あの建物にはレストラン、世界の昆虫標本の展示とモアイに関する資料が展示されていました。

徐々に下がって行くと石で描いた蝶のアートだったり、上の黄色い人の写真の七色バージョンなどがありました。

一通り見てモアイ像の所へ来ましたが…まだまだ人が多い状況だったので人間観察をしてみた。

観光客は日本人、中国人、韓国人って感じでした。

みんな写真を撮ったり動画を撮ったり、一体一体と写真を撮っている人もいれば数枚写真を撮ってすぐに立ち去る人など様々でした。

一つのグループの人達がこんな会話をしていた。

「俺のiPhone だからなぁ、アンドロイドとかGoogle pixelとかだとこの人とか消せるんだよねぇ?いいよなぁ。」

みたいな感じ、それは私も同感でした。

ようやく人がいなくなったなぁと思って時計を見ると、閉園五分前…急ぎ撮影をして撤収。

私的にはこの下の写真のアングルがお気に入り、本当は夕方に太陽光がモアイに当たってすごくよかったんですが…残念ながら撮影する時間にはもう日の光が当たらなくなっていました…残念。

みんなが恋愛やら結婚やら仕事がどうのこうの言いているのが聞こえてきていて、建物の所で写真を撮っているのに気がついた。

どうやらこういう事だったんですね…だから一体一体と写真を撮っている人がいたのかと理解した。

そして、10号線を北上して次の目的地に向かっていると…なんだか見覚えのある建物、だったりお店が…「あぁ、ここ2年前にママチャリで縦断した時に野宿した道の駅だ!!」

で、急遽今日の夜に到着予定だった目的地を諦め2年ぶりに懐かしの場所で野宿してみた。

高千穂峰 ★☆☆☆☆

2024.6.1(土)

今回は鹿児島県と宮崎県の境にある高千穂峰に来ました。

まずはこの山について少しご紹介したいと思います。

ここ高千穂峰は神話の舞台になったと言われている場所で、『天孫降臨(てんそんこうりん)』の地とされています。

*天孫降臨とはアマテラスオオミカミの孫ニニギノミコトが神の住む地高天原から地上に降り立ったと言われている所。

ニニギノミコトが天孫降臨した際に天の逆鉾を突き刺したという伝説が残っています。

天の逆鉾は逆に突き刺さっている、つまり逆だと思われていたが最近では『逆(さか)』ということではなく『賢さ』や『繁栄』を表す意味なんじゃないかという説もあるようだ。

他にもこれを作ったのが薩摩(現在の鹿児島)の16代当主島津義久が建立したとか…色々な説があります。

駐車場から撮った一枚で、「あの右が山頂か?すげぇなぁ〜」と思っていましたが…実は違うんですねぇ…まぁ、それはおいおい。

ここにはビジターセンター、食事処、などがあります。

9時50分に出発します。

今回の登山ルートはこんな感じです。

10時ちょうどに登山口に到着、ここから本格的な登山になります。

最初はこんな感じで石畳が続きます、影になっていて暑くなくてちょうどいいです。

ここからちょっとずつ登りが始まります。

コガクウツギだと思われます、そこらじゅうに咲いていました。

今回の登山は火山を登っていくので足場はお世辞にもいいとは言えません…握り拳大の石にその石が細かくなって滑るしこの傾斜角。

下ってくる人は足を取られて転けている人や靴のソールが取れて歩きづらそうに降りてくる人もいました。

登山前にどこかでソールの剥がれがないか?靴紐は大丈夫か?みたいな注意看板を見た気がしたが、特に気にすることなくここまで来たが…まさか本当にソールが取れている人に出会うとは思いもしませんでした。

今回の教訓は登山前の準備でソールのチェック、ソールが取れた時用の何か対策を考える必要があると思った。

ミヤマキリシマです、ビジターセンターで咲いているとは書いていましたが散り気味とあったので残っていてラッキーでした。

普通に写真を撮ってもこの傾斜をうまく表現できないのが悔しくて、ちょっとしたから煽り気味に撮影してみました…だいたい立った状態から見た傾斜に近いと思います。

駐車場があんな遠くに…そして、現在立っている場所が駐車場から見た時の左側の峰のところです…でちょっと行くと…

お鉢でした !!かなり迫力のあるお鉢でした、駐車場から見て右の山頂だと思っていたのがこのお鉢の一番高いところでした…で、振り返ると。

もう一個奥に峰が…まさかあれが山頂!?

なのでお鉢の奥に高千穂峰の頂があり駐車場からは見えなかったんです。

クモがいたんですが…こんなクモ見た事ないなぁ…いや、そんなことよりよくこんな高い所に生息しているなぁ。

ここでお参りをして最後の登りに挑みます。

ここからもまた傾斜がキツく、降りてくる人とのすれ違いと足元の滑る土質に注意して登りましょう。

11時20分に無事登頂しました!1時間半くらいで登頂できました。1574mでした。

そして、今回なぜここに来たかというと…高千穂峰の頂に突き刺さっている『天の逆鉾』

これを幕末の英雄坂本龍馬が妻お龍とこの山に登り一緒に引き抜いたと噂されている鉾で随分前から見てみたいなぁと思っていたので今回これが実現できて本当によかった。

ここに来て思ったけど…あの鉾は本物なのかなぁ?レプリカ?ビジターセンターで聞いてみたらよかった。

12時30分に無事下山しました、それからビジターセンターを訪れじっくり見学。

天の逆鉾のレプリカが展示されていました。

他にも、龍馬が天の逆鉾を引き抜いた時の様子やスケッチなどが書かれた書状を姉に送っている資料なども展示されていました。