韓国 ソウル周辺 旅行3日目

2024.4.14(日)

3日目と言ってもあとは帰国するだけなんですが…この3日目の朝に起きた凄いサプライズを紹介したくてあえて3日目を書くことにしました。

14日のフライトが朝早かったので前日から仁川国際空港へ移動。

この電車ってすごく綺麗なんですが…シートが固いんですよ。

仁川に着いて充電する所にはUSB、韓国のコンセント、たぶん日本で使っているコンセントが使えそうなコンセントが…。

あとこんな便利なものもありました、ワイヤレス充電。

使っていないので分かりませんが、たぶん充電速度は遅そう。

朝4時半くらいに起きて一階に行ってハンバーガーを食べようと思って行くと…到着ロビーの所に人だかりができていて行ってみると、若い女の子たちが手に男性アイドルの写真とかを持っているのが見受けられたので「あぁ、韓流スターとかかなぁ?でもせっかくなので出待ちしてみよう。」と待っていると数分後に出てきて女の子たちが「きゃー!!」と言ってバリケードを倒して追いかけていった。

アイドルかスターが出て行ったにもかかわらずまだ出待ちをしている人がいる、さっきまでいた女の子たちとは明らかに違う…まだ誰か来るのか?と思いさっきと違うところから待ってみることに。

出待ちの前方の方にいる数人の人がフェラーリとメルセデス・ベンツのシャツを着ている…その二つのチームで有名な人って…F1ドライバーのルイス・ハミルトン?

でもそんなバカな!と思って前回のアイドルが現れてから待つこと30分後…一人の男が出てきた。

私の後ろで男性が「ルイス〜!!」と叫んだ。

「えっ!まじで!?嘘だろう?」「あぁ〜ぽっいなぁ…まじか!!」

ルイスは一番手前にいたファンの所に行きサインをしているうちに後方にいたファンたちがルイスの方へ雪崩れ込んで場は一瞬でカオスとなった。

韓国のファンはスゲェーなぁ。

警備員もいたがファンの数に圧倒されている感じだった…すぐに出ていくルイス、あとを追うファンで出口まで人でいっぱいだった。

ファンが落としたであろう落とし物がロビーに落ちていました。

実は韓国の航空チケットを購入するときに日曜日にするか月曜日にするかで迷っていたんですが…月曜が天気が悪そうと予報があったので日曜日のチケットにしたが、これが大正解だった!!

帰る時間です、太陽が顔を出して、その光が朝靄で幻想的なオレンジになっていた。

都会に霞がかかって本当に幻想的な光景でした!!

今回は実質1日半くらいしか時間がなかったですが、久しぶりの海外ということで凄く楽しめたし、帰る直前に最高のサプライズが目の前で起きたので最高の旅行になりました。

また今度ソウル以外の地域も訪れたいと思いました…また行きます。

韓国 ソウル周辺 旅行2日目

2024.4.13(土)

本日は朝の8時30分にホテルを出発し歩いて目的地まで移動、その道中に義手、義足屋さんっぽい所が…結構リアルでぱっと見では義手とか分からないレベルのクォリティでした。

歩いていると、スマホに通知が来た…「は?なんだ?これ?」「安全警報?」なんかヤバいことでも起きたのか?当然分からないので無視してポケットにスマホをしまい目的地に進む。

これ、あとで友達に聞くと、どうやら人を探しているという事らしい。

ホテルから歩くこと40分、ようやく目的地に到着。

戦争記念館というところで、朝鮮半島で起きた昔の争いから現代までの戦争に関する戦争資料を展示していて、館内はすごく広く1階から3階まであり見て回るのにも結構時間がかかります。

しかもすごいのが、この資料館無料なんです…正直コレだけの展示物を扱っているのだから有料にしても全然いいと思うんですけど。

この門は駐車場行きの門でした、知らなかったのでここから入って行きましたが行けました。

ここが正面にあるモニュメントです。

どうやらこのモニュメントは本当にあった物語をモチーフにしたそうです。

この船は戦闘で使われていた船の実物大のレプリカだそうですが、銃弾の痕がその戦闘の凄まじさを物語っています。

赤丸は全て銃弾の痕です。

他にも戦車、戦闘機、ヘリ、機関銃、ミサイルなどが野外に展示されていました。

この時に中国人の団体客がいて写真を撮っていたんですが…その時にピースをしたりバンザイをして写真を撮っていたんですが…こういう場所でそうしたポーズをしての撮影はいかがなものかと思いました。

おそらく、無意識にやっている行動なんだろうけど…こういう場所ではわきまえるべきだよなぁ…記念にとかで気持ちはわかるんだけど…まぁ、私もあまり人のことは言えないかも…無意識にやっている可能性があるので。

でもあの行動を見て場所によってはもっと気をつけて行動しようと思った。

これは今でも社会の教科書に載っているかどうか分かりませんが、フランスの画家ビゴーという画家が描いた絵で、下の魚が朝鮮でそれを日本と中国のどちらが釣り上げ、釣り上げた方からその魚を横取りしてやろうと様子を伺っているロシア。

結局、日清戦争があって日本が勝って、日露戦争に発展していくんだっけ…

今から約130年ほど前のお話なんですね…

その前にも豊臣秀吉が朝鮮に攻め込む命令を出している動画もこの博物館で見たんですが…そうですよね…そんな前から朝鮮に戦を仕掛けていたんですよね…その戦に黒田官兵衛が巻き込まれていくんですよね。

1950年6月25日、この日に朝鮮戦争が始まったそうですね。

この日に北朝鮮が38度線を超えて韓国に侵攻戦争を仕掛けたのが始まりで、奇襲に近い形で戦争が始まったのでそれに対応しきれなかったことからすごい勢いで北朝鮮が侵攻してきたそうです。

この先の展示には戦争の現実を突きつけられる展示がされていました、内容は伏せますが人によっては目を背けたくなる人もいるかもしれない内容でした。

朝鮮戦争で生き残った人の証言VTRを観たんですが、そこで証言した人は銃を射ったことのない学生がまともな訓練を受けないまま最前線に送られて戦闘に参加して亡くなっていくという毎日だったそうです。

他にも仲良くなった5〜6人で仲良く飯を食べていて、生き残った人はトイレに出掛けて帰ってきたらさっきまでご飯を食べていた所にミサイルが降ってきてそこにいた人は全員亡くなっていたみたいな話もありました。

ここから下はベトナム戦争での資料でしたが、韓国がベトナム戦争に参加していたことは知りませんでした。

ジャングルに仕掛けられた罠の数々がすごい。

落とし穴の中に竹槍…これは痛そう。

地雷。

落とし穴に毒蛇…これも嫌だなぁ.。いや、これ捕まえてくる方が大変だろう。

村の下に地下基地を作っているのがすごい…まるでアリの巣。

他にも色々あるんですが、あまりにも多いのでほんの一部の紹介でした。

でもここは韓国ソウルに訪れる機会があれば是非とも立ち寄って戦争の悲惨さや無益さを知って欲しいと思った。

また、この戦争資料館は韓国に関わる事でしょう?だから自分には関係ないと思う日本人もいるでしょうが決して我々日本人に関係ない資料館ではないです。

韓国 ソウル周辺 旅行1日目

2024.4.12(金)

ちょっとフラフラと韓国へ行ってきました…海外旅行は2019年のGW明けに行ったタイとミャンマーが最後なので実に5年ぶりなので実はちょっと緊張していました…しかも出国審査の時にたぶん新人さんが対応したので新人さんの横で教官がヒソヒソ教えながらパソコンのモニターを見ていたので、横目で隣のレーンの人が何人も通過して行くのを見送りながら心の中で「おいおい私は何もしてませんよ。」と気が気じゃなかったです。頑張れ新人さん!!

無事に出国して仁川国際空港に到着しました。

そこから電車でとりあえずソウルに行ってみることに。

仁川空港からソウル駅に到着して長いエスカレーターを上がって出口を出ると…えっ!コレがソウル駅?なんか思っていたのと違うなぁ…そう思いながらも駅を左にしばらくフラフラしたが特に何もなかったので、一本隣の大きな道の方に出てそこから駅の方へ歩いていくと。

あぁ、こっちがソウル駅正面だったんですね、まぁそうですよね。

この駅の近くにあった食堂に入ってキムチチャーハンを注文。

せっかく韓国に来たのだから、韓国らいい物をと思って注文したが…お通しでキムチとたくあんとスープが…こんなにキムチキムチするなら別にキムチチャーハンにしなくてもよかったなぁとちょっと後悔。キムチチャーハン美味しかったです。

キムチももちろん美味しかったんですが、大根のキムチとたくあんが美味しかったです。

このキムチのお通しはどのお店でも出てくるんですね…知りませんでした。

ソウル駅をちょっと行くと大っきい建物が見えたので行ってみることにしてみました。

門の所に写真パネルと説明があったのですが、説明が全てハングルだったのでよく分からないが、門を抜けると衛兵が立っていてスピーカーで何やら説明していました。

衛兵の交替式なのかイベントがありました。

この門の向こう側、信号を渡ると市場っぽい所があったので散策することに。

コレは…高麗人参かなぁ?これって飲むのかなぁ?漢方みたいなもの?しかし、すごい形。

フラフラして思った…「ここって…上野にあるアメ横」衣類に食品、貴金属が売っていました。

道端にある露店のたい焼きと後ろの方にトッポキ左の方には天ぷら串。

私はたい焼きを一個いただきました。

なんかこういう景色は懐かしい…東南アジアとか中国でこのような光景をよくみるんだけど、韓国でこのようなエアコンのファンがあるとは思わなかった。

歩道橋からソウル駅を撮ってみました…これ6車線?すごいなぁ。

この歩道橋には、たくさんの植物を植えていました。

この時期的に桜とチューリップが咲いていました。

この駅周辺で飯屋を探したんですが…ほとんど焼肉屋だったり海鮮系だったりスープ系のお店が多かった。

そして、思った一人で外食をしている人がいなかった…みんなでわいわいしながら食べる文化なのかなぁって思った。

スープ系のお店に冷麺があったので注文すると最初にキムチと餃子みたいなものとハサミが運ばれてきた。

ハサミって…麺を切るの?

冷麺が運ばれてきて、お箸で麺を取り口に運ぶが麺が長い…あぁ、だからハサミね。

左手で麺を持ち、支えながら右手にハサミを持ち麺を切って食べた。

これ後から友達に聞くと、先に麺をハサミで切るそうだ…。

今回泊まったホテルでスマホを充電しようと思ったが…形が…韓国は何種類かコンセントのプラグがあるとネットで見たがこのホテルにはこのタイプしかなかった。

でも、机の上にはスマホの充電用にコードが…よかった。

これは仁川空港で電車に乗る時に券売機で発行される使い切りのカードで、券売機で購入する時に目的地までの料金と補償金って感じで表示されるんだけど…この補償金が500ウォンで券売機の近くにある別の機械に入れると500ウォンが返ってくる仕組みになっている。

天神山の大しだれ桜

2024.3.27(水)

時系列的にちょっと前のお話なんですが…福岡県にある築上町にあるしだれ桜を見に行くことに。

最近は大分県を旅行していたので間に福岡県を挟むのが嫌だったので、大分県の旅行が終わってからと思っているとちょっと遅くなってしまいました。

ここのしだれ桜は期間限定でライトアップしているので見に行ってみることに。

日が沈んで暗くなる前に見たしだれ桜は圧倒的な存在感があり、白色、薄ピンクの満開の桜が綺麗で幻想的でした。

ライトアップしたしだれ桜も綺麗。

ライトアップの時間は2時間できっちり2時間撮影しつつ見て楽しむことができました。

猪群山(ストーンサークル) ★☆☆☆☆

2024.3.31(日)

今回も職場の方に教えてもらった国東半島にある猪群山というところへ、どうやらそこにはストーンサークルがあるということで散歩気分で行ってみることに。

ここまでの車道は狭く対向車が来ないことを祈りながら来ました…まぁ、日曜の早朝なので車一台見なかったので対向車は来ることはなかった。

奥に見える青い看板のところが駐車場、たぶん車3台分くらいしか止められないと思う。

準備をして、7時にスタート。

いきなり急登です。

おそらく800mが山頂ということだろう。

登山ルートに段々と巨石が見えてきました、不思議です…突然にこのような巨石があるのでどういう経緯でここにあるのかが謎です。

7時25分に山頂に到着。

ここから少し離れた所にストーンサークルがあるようで、行ってみる。

10分も経たないうちに到着。

一説には卑弥呼の墓ではないかと書かれていますが…それはどうかなぁ?と思った。

ストーンサークルの入り口のところにある二つの巨石があって、人一人が通れるくらいの幅で設置しているように思える、そして、巨石の向こう側から太陽が昇るのでおそらく日が昇る時にこの巨石の間を太陽の光が一筋の道ができるんじゃないかと思った。

残念がらもう太陽が昇った後だったので推測でしかないけど、もしそうならすごく神秘的な光景になるんだろうなと思った。

護神岩にお祈りをして散策。

入り口の所にあった看板にはこの護神岩の近くにある巨石付近で磁場が狂うところがあると書いてあったのでコンパスを近づけてみるもコンパスは狂うことはなかった…他にも3箇所ほど狂う場所があると書いてあったので探してみたが…残念ながら見つけることはできなかった。

鶴見岳  ★☆☆☆☆

2024.3.30(土)

予科練資料館の見学後鶴見岳登山に向かう途中鶴見岳と由布岳が見えたので写真を撮ったんだけど…家とかアパートが写ってしまった…もうちょっといい場所を探せばよかったなぁ。

鶴見岳登山口の駐車場にいく前にあった看板ですが…鶴見岳って活火山なんですね。

とらえず噴火警戒レベル1なので問題なさそう。

この鳥居の脇から上がっていきますが、道が狭いです…私が登っていくときに対向車が来て大変な思いをしました。

駐車場は結構広く、トイレもありました。

1時45分に出発。

神社の奥から登山道に行きます。

ここから本格的に登山道に入っていきます。

葵の種類だそうです、写真を撮っている方が教えてくれたんですが…この葵の名前を忘れちゃいました。

しばらく登ると道が出てきましたが、そのまままっすぐ進みます。

しばらくは根っ子と岩が続くゾーンが続きます。

ちょっとした休憩スペースに不思議な木が!

下の方で繋がっている。

鶴見岳にはこのように海抜とゴールまでのおおよその時間が書いてあるのはいいですよね。

途中で左右に分かれる分岐点に到着、右に行くとロープウェイの近くを通って山頂に行けるみたいで、今回は左のルートを選択しました。

恵比寿天広場からの景色、左の方にロープウェイの建物が見えています。

たまに見かける昔の缶…コレはどれくらい前の缶なんだろう?

駐車場から約1時間20分後の2時6分、山頂に到着。

奥には由布岳が見えています。

山頂からの景色ですが…この日は黄砂が全国的に注意報が発生していたので遠くの方は霞んでいます、その上天気も曇り、風も強くてすぐに下りることに。

帰りはロープウェイのところから違うルートで帰ることに。

ちょっとした鎖場もあります。

そして、登るときに左のルートに進んだ分岐点に戻ってきました。

トータル2時間半の登山でした。

そして、この後は宇佐市にある戦争遺構の見学に行きました。

大分県 予科練資料館

2024.3.30(土)

ここ数週間の間は戦争関連について見学していることから、今回は大分県大分市にある予科資料館を見学することに。

そもそもここの事をどうやって知ったかというと、大分県の宇佐にある平和資料館を訪れて『永遠の0』を観たくなって、見学したその日にレンタルビデオ店で借りて来てそのエンドロールで小さく大分予科資料館と表示されている事に気づいたのがきっかけです。

そこで、予科練資料館と検索すると…茨城県にある予科練平和記念館と出てくる…うーん、違うんだよなぁ。下にスクロールしていくとその下の方に出て来たが…来年の8月に閉館と書いてある…開いてみると、2024年の8月14日に閉館するという事だそうだ。

もっと詳しく言うと見学は5月下旬までと書いてある、聞くと2024年5月26日(日)に一応終わりになって8月14日に閉館となるそうです、その後は展示されている収蔵品を護国神社に保存されるそうです。

ホームページを読んでいると、見学は予約制で土日だけだそうで予約フォームから申請をしたが…特に返信もなかったので、電話番号を調べて電話してみるも「現在使われておりません。」だったので、直接行ってみる事にしました。

最近やっと桜が咲いてきて綺麗に咲いていました。

朝9時頃に来てみるも、開いていない…入り口のところにある戦闘機のポスターを眺めながら「やっぱり、予約しないとダメなのかぁ〜、でも予約フォームも電話もダメだったんだよなぁ。どうしたもんかなぁ〜。」と考えていると同時にもう帰ろうか思っていると、背後に人の気配を感じたので振り返ると自転車を押して下り坂のところにおじさんが立っていた。

どうやらここの方で、事情を説明すると快く見学をさせてもらうことに、でも偶然にもこの日は予約が入っていたので見学できたのだと思う。

鍵を開けていただき早速見学させてもらう事に、所狭しと貴重な資料や当時の物が置かれている。

この下の写真の赤枠で囲っている右側の子犬を抱いた写真は見覚えがあった、これは鹿児島県の知覧特攻平和会館で見た写真。

左の赤枠はそれをイメージ絵にして曲を作ったそうで、館内で流していました。

零戦の機体の外板の一部、ここの資料館の凄いところがこうして展示してある実物に触れることができるということ。

持ち上げてみたが、軽いそして薄い。

これはハンモックだそうで、これは貴重な品らしい…たしかにあまりハンモックを使っているイメージってないなぁ。

この下の写真の人間魚雷かどうかは分からないんですが、知覧特攻平和会館の所にも人間魚雷の資料と映像があったような気がする…人間魚雷のことは昔読んだ漫画『特攻の島』でちょっと読んだことがあったので存在自体は知っていたんだけど、実際に知覧特攻平和会館で見たので「これが、そうなの?」ってなった記憶がある。

コレがどうやら人間魚雷に取り付けられていた部品だそうで、これも貴重な品だそうです…というより、ここにある物全てが貴重な物で貴重な資料だと思う。

赤枠の部分に取り付けられていたそうです、ちなみにこれも持ち上げてみたのですが…コレは重かった。

こちらは120年ほど前の物だそうで、120年前の紙がこんなに綺麗に残っているのは凄いと思う、書かれている漢字も昔の漢字を使っていてちょっと読みずらいし意味を理解するのも難しかった。

スタッフの方が、団体見学が来る前にすごいの見せてあげるとガラスケースの鍵を開けて一丁の銃を取り出してくれた。

それがこの九九式という銃だそうで、この菊の紋と九九式の刻印が残っているのは珍しいらしく、そもそも残っていてもこの刻印が削られているものが多いそうです。

持った感じ3〜4kgくらいかなぁ、割とずっしりしていて銃先には短剣を取り付けて銃剣としても使用していたそうです。

潜水艦の窓ガラスだそうですが、分厚いです…コレも結構重い。

この手のガスマスクはいつ?何の用途?で使用していたんだろう?

こうして顔に当ててみたが、目のガラス部分はくすんでいて見えづらかった。

コレは神雷部隊の方の所にあった資料を読ませてもらった。

鼓舞するようなことも書かれていた…コレは最後のページだったと思うんだけど、鬼畜米英って…いや、それよりも字が綺麗。

神雷部隊ってこの後にも紹介しますが、前回宇佐平和資料館で見た『桜花』に乗って特攻していく部隊で、自分が同じ立場にいたらこんな綺麗な字なんて書けないと思う。

特攻直前に書いたかどうかは分かりませんが、桜花に乗る🟰確実に死ぬって状況…私なら手とかが震えてこんなしっかりし字はたぶん書けないと思うので、これを書いた方は覚悟が決まっていたんだろうか?それとも最後にある鬼畜米英とあるように欧米の方への恨みの方が強かったのかなぁ?

コレが桜花というエンジンを持たず、自分で飛び立つことが出来ない桜花。

たぶん、前回宇佐平和資料館の記事で誤った事を書いていたと思うので前回の記事は後に訂正します。

今回はこのような図と資料とスタッフさんの説明を聞きました。

この大型の戦闘機の下側に桜花を引っ付けて目的の戦艦近くまで運んで切り離して特攻していくということらしいです。

しかも、桜花を切り離すタイミングは大型の戦闘機のタイミングで切り離されるようになっているそうで桜花に搭乗しているパイロットのタイミング(自分のタイミングで)行けないってのもなんだか辛い話だなぁ。

最後にスタッフさんからこの国旗について教えてくれた。

本来は上まで上げている旗ですが、半分ほどの所まで下げるとか一番上から旗一個分下げたところで掲げるのは亡くなった方を尊重して旗を掲げているそうです。

色々教えて下さったスタッフさんと現在の館長さんありがとうございました。

ここで『予科練の群像』という本を購入して現在も読んでいる途中ですが、当時の方々の訓練時の体験とかを綴ったことを読むことですごい時代だったんだなぁ、今では考えられないなぁ〜と思います、理不尽に殴られたり気合いが足りんと棒で叩かれたりと…。

前館長さん川野喜一さんの言葉に「今日、自由と平和を謳歌することの出来るのは、彼等英霊の、身を挺して国に殉じた礎が、あったからだと確信している。」とある。

ほんとそうだと思う、彼等英霊の犠牲の上に今の平和な日本があると思う…これからも平和でありますように…。

最後に、このような資料館がなくなるのは非常に残念です😢

ここ予科練資料館は実際に使われていた品々に触れることができ、戦争の重みを肌で感じることができる唯一の資料館だと思う。

他の資料館では絶対に出来ない現物に間近で見て触れることができる唯一無二の資料館です。

閉館される前までに訪れることをお勧めします。

私ももう一度伺いたいです。

宇佐海軍航空隊跡

2024.3.30(土)

前回の続き、前回はこの宇佐市を訪れた時にはもう夕方で滑走路跡、耐弾式コンクリート造建物、落下傘整備所、エンジン調整場を見学すると時間切れになってしまいました。

今回もまた宇佐市に着いた時点でもう夕方…前回と同じような時間。

まずは爆弾池。

飛行場全域に排水をよくするために全域にコンクリート製の管を設置していたそうで、これは発掘調査で出土した物だそうで、爆弾池の中にはこの丈夫そうなコンクリート製の管が割れている物が出土しているそうです。

昭和20年4月21日の空襲でできた爆弾跡だそうで、直径10m、深さが⒈2m。

2階から見た景色ですが、この辺りは麦を栽培しているそうで5月下旬くらいには麦が黄金色になるのでそれは綺麗な景色が見れるそうです。

滑走路跡の近くにある掩体壕。

コレは零戦のエンジンだそうで、国崎沖で引き上げられた物だそうです。

一通り見て終わったので、トイレに行こうと思ってトイレに近づくと…そこにはパンフレットと台の上にファイルが置いてあったので、ファイルを見ていると….。

一台の軽トラがやって来た、軽トラから降りてきたおじさんは2台に積んであったパンフレットを補充し始めた。

そこで、少し話をすることになってパンフレットを補充するってことは教育委員会の方かなぁ?と思って聞いてみると…区長さんだった。

その後も色々と教えてもらいました。

あの掩体壕の奥の方の天井には昔の人の靴跡が残っているとか、この下の写真のブロック状になったコンクリートの塊は滑走路に使われていた物だそうです。

これも教えてもらった事の一つだけど、おそらくこの尾翼が収納される空間は学生たちが盛り土を作ってその上からコンクリートを流し込んで、コンクリートが固まってから盛り土を退けて作ったそうで、その証拠にこの空間の壁とかは凸凹していて、なるほど納得。

左側が奥の部分の凸凹が手作り感がある、右側は凸凹はなくきちっとした作り。

これが区長さんがおっしゃていた靴跡、盛り土を作った時に残っていた靴跡がコンクリートに跡になって浮き出ている状態です。

よくよく見ないと分かりませんし、普通に訪れてただ掩体壕を見に来ただけではおそらく気付かないだろうし、私も普通見てこの靴跡には気づきませんでした。

他にも色々と教えてくださった区長さんありがとうございました。

トイレの所にあった映画の看板…今度見てみようかなぁ。