豊後森機関庫公園

2024.11.9(土)

原尻の滝から移動し、次はこちら豊後森機関庫公園。

この機関車は大正時代に製造された物だそうで、1945.8.9(昭和20年)に長崎に原爆が投下された時期には被災された方々を乗せて人命救助に貢献したそうです。

で、やっぱり大正時代というと…漫画鬼滅の刃の無限列車って感じですよね。

そして、この白い古びたドアに黄色の椅子…新海誠さんの作品『すずめの戸締り』の背景のモデルとされているところのようです。

たしかに、こんな感じだった気がします。

うん、こんな感じ。

でもこうしてみてみると、奥の建物のガラスが歯抜けになった感じとか吹き抜けな感じがすごく私は好きです!!

最後に陸橋から撮影してみましたが…ちょっと遠い…スマホではこれが限界かなぁ。

でも綺麗に撮れた方だと思います。

原尻の滝

2024.11.9(土)

道の駅きよかわから少し行ったところに、原尻の滝というのがあるそうなので行ってみることに。

たしかに、なかなか見事な滝です!!

吊り橋もあってなかなかいい雰囲気のところでした。

橋を渡った先にあるところからも一枚。

神社があるみたいなのでお参りへ。

それと、訪れた次の日がマラソン大会らしく皆さん朝からお掃除に励んでいました。

神社もなかなか雰囲気のある神社でした。

もちろん神社もお掃除されていたので落ち葉ひとつなく綺麗でした。

戻って今度は滝の上から、左の方に川の中に鳥居があって右には滝が流れていてよかったです。

道の駅きよかわ(大分県)

2024.11.8(金)

痛い指で辿り着いた道の駅きよかわ。

店内に入ると何やら桃色の鳥居が…鳥居を潜って撮影した時思った…鳥居を潜ったってことはお参りしないとなぁ…で、財布を開けると…1円玉しか入っていない…お参り。

「しかし、1円で恋愛が叶ったとして…1円で叶う恋愛ってどうなのよ?」と思いながらお参り。

そして、店内に『キワーノ』というフルーツが売っていた…ここに書いてあるとおりほんと見た目は悪魔の実…そして堅い。

2つ購入してみたがまだ食べどきではないのでまだ食べていない。

なんでももう2〜3件くらいの方しか作っていないそうです。

この道の駅の向かい側に『からあげきよかわ』があって入ってみた。

店内には興味深い昔の品々がディスプレイされている…テンションあがる!!

この黒電話とか懐かしいなぁ〜。

店のおじいちゃんと話をしていると、昔の鉄道の時刻表を奥の方から引っ張り出してきた。

左上に1963(昭和38年)と書いてある…61年前の代物だよ…こういうの鉄オタの方ならヒーヒー物なのではなかろうか?

中身はこんな感じでした。

よく分からん。

1952年のヘルシンキオリンピックの資料だそうだ…上の時刻表よりも約10年も前の代物

そして、私が注文した「からあげ大1本」あと「とり天2個」とり天の写真撮り忘れました。

写真じゃぁ大きさが分かりずらいですが、デカいです!これで350円!!安い!!!

そして一口「うまい!!うまいぞ!!オヤジ!!!」

「これ1本で350円!?いや、安すぎだぞ!!オヤジ!!!」

ここのオヤジさん曰く「一度も値上げしたことはねぇ」とのこと。

いやいやオヤジ…値上げしてくれ!!私なら500円でも全然買うよ!!!

でもあのオヤジのポリシーだから値上げしないんだろうなぁ…。

大分県 予科練資料館

2024.3.30(土)

ここ数週間の間は戦争関連について見学していることから、今回は大分県大分市にある予科資料館を見学することに。

そもそもここの事をどうやって知ったかというと、大分県の宇佐にある平和資料館を訪れて『永遠の0』を観たくなって、見学したその日にレンタルビデオ店で借りて来てそのエンドロールで小さく大分予科資料館と表示されている事に気づいたのがきっかけです。

そこで、予科練資料館と検索すると…茨城県にある予科練平和記念館と出てくる…うーん、違うんだよなぁ。下にスクロールしていくとその下の方に出て来たが…来年の8月に閉館と書いてある…開いてみると、2024年の8月14日に閉館するという事だそうだ。

もっと詳しく言うと見学は5月下旬までと書いてある、聞くと2024年5月26日(日)に一応終わりになって8月14日に閉館となるそうです、その後は展示されている収蔵品を護国神社に保存されるそうです。

ホームページを読んでいると、見学は予約制で土日だけだそうで予約フォームから申請をしたが…特に返信もなかったので、電話番号を調べて電話してみるも「現在使われておりません。」だったので、直接行ってみる事にしました。

最近やっと桜が咲いてきて綺麗に咲いていました。

朝9時頃に来てみるも、開いていない…入り口のところにある戦闘機のポスターを眺めながら「やっぱり、予約しないとダメなのかぁ〜、でも予約フォームも電話もダメだったんだよなぁ。どうしたもんかなぁ〜。」と考えていると同時にもう帰ろうか思っていると、背後に人の気配を感じたので振り返ると自転車を押して下り坂のところにおじさんが立っていた。

どうやらここの方で、事情を説明すると快く見学をさせてもらうことに、でも偶然にもこの日は予約が入っていたので見学できたのだと思う。

鍵を開けていただき早速見学させてもらう事に、所狭しと貴重な資料や当時の物が置かれている。

この下の写真の赤枠で囲っている右側の子犬を抱いた写真は見覚えがあった、これは鹿児島県の知覧特攻平和会館で見た写真。

左の赤枠はそれをイメージ絵にして曲を作ったそうで、館内で流していました。

零戦の機体の外板の一部、ここの資料館の凄いところがこうして展示してある実物に触れることができるということ。

持ち上げてみたが、軽いそして薄い。

これはハンモックだそうで、これは貴重な品らしい…たしかにあまりハンモックを使っているイメージってないなぁ。

この下の写真の人間魚雷かどうかは分からないんですが、知覧特攻平和会館の所にも人間魚雷の資料と映像があったような気がする…人間魚雷のことは昔読んだ漫画『特攻の島』でちょっと読んだことがあったので存在自体は知っていたんだけど、実際に知覧特攻平和会館で見たので「これが、そうなの?」ってなった記憶がある。

コレがどうやら人間魚雷に取り付けられていた部品だそうで、これも貴重な品だそうです…というより、ここにある物全てが貴重な物で貴重な資料だと思う。

赤枠の部分に取り付けられていたそうです、ちなみにこれも持ち上げてみたのですが…コレは重かった。

こちらは120年ほど前の物だそうで、120年前の紙がこんなに綺麗に残っているのは凄いと思う、書かれている漢字も昔の漢字を使っていてちょっと読みずらいし意味を理解するのも難しかった。

スタッフの方が、団体見学が来る前にすごいの見せてあげるとガラスケースの鍵を開けて一丁の銃を取り出してくれた。

それがこの九九式という銃だそうで、この菊の紋と九九式の刻印が残っているのは珍しいらしく、そもそも残っていてもこの刻印が削られているものが多いそうです。

持った感じ3〜4kgくらいかなぁ、割とずっしりしていて銃先には短剣を取り付けて銃剣としても使用していたそうです。

潜水艦の窓ガラスだそうですが、分厚いです…コレも結構重い。

この手のガスマスクはいつ?何の用途?で使用していたんだろう?

こうして顔に当ててみたが、目のガラス部分はくすんでいて見えづらかった。

コレは神雷部隊の方の所にあった資料を読ませてもらった。

鼓舞するようなことも書かれていた…コレは最後のページだったと思うんだけど、鬼畜米英って…いや、それよりも字が綺麗。

神雷部隊ってこの後にも紹介しますが、前回宇佐平和資料館で見た『桜花』に乗って特攻していく部隊で、自分が同じ立場にいたらこんな綺麗な字なんて書けないと思う。

特攻直前に書いたかどうかは分かりませんが、桜花に乗る🟰確実に死ぬって状況…私なら手とかが震えてこんなしっかりし字はたぶん書けないと思うので、これを書いた方は覚悟が決まっていたんだろうか?それとも最後にある鬼畜米英とあるように欧米の方への恨みの方が強かったのかなぁ?

コレが桜花というエンジンを持たず、自分で飛び立つことが出来ない桜花。

たぶん、前回宇佐平和資料館の記事で誤った事を書いていたと思うので前回の記事は後に訂正します。

今回はこのような図と資料とスタッフさんの説明を聞きました。

この大型の戦闘機の下側に桜花を引っ付けて目的の戦艦近くまで運んで切り離して特攻していくということらしいです。

しかも、桜花を切り離すタイミングは大型の戦闘機のタイミングで切り離されるようになっているそうで桜花に搭乗しているパイロットのタイミング(自分のタイミングで)行けないってのもなんだか辛い話だなぁ。

最後にスタッフさんからこの国旗について教えてくれた。

本来は上まで上げている旗ですが、半分ほどの所まで下げるとか一番上から旗一個分下げたところで掲げるのは亡くなった方を尊重して旗を掲げているそうです。

色々教えて下さったスタッフさんと現在の館長さんありがとうございました。

ここで『予科練の群像』という本を購入して現在も読んでいる途中ですが、当時の方々の訓練時の体験とかを綴ったことを読むことですごい時代だったんだなぁ、今では考えられないなぁ〜と思います、理不尽に殴られたり気合いが足りんと棒で叩かれたりと…。

前館長さん川野喜一さんの言葉に「今日、自由と平和を謳歌することの出来るのは、彼等英霊の、身を挺して国に殉じた礎が、あったからだと確信している。」とある。

ほんとそうだと思う、彼等英霊の犠牲の上に今の平和な日本があると思う…これからも平和でありますように…。

最後に、このような資料館がなくなるのは非常に残念です😢

ここ予科練資料館は実際に使われていた品々に触れることができ、戦争の重みを肌で感じることができる唯一の資料館だと思う。

他の資料館では絶対に出来ない現物に間近で見て触れることができる唯一無二の資料館です。

閉館される前までに訪れることをお勧めします。

私ももう一度伺いたいです。

宇佐海軍航空隊跡

2024.3.30(土)

前回の続き、前回はこの宇佐市を訪れた時にはもう夕方で滑走路跡、耐弾式コンクリート造建物、落下傘整備所、エンジン調整場を見学すると時間切れになってしまいました。

今回もまた宇佐市に着いた時点でもう夕方…前回と同じような時間。

まずは爆弾池。

飛行場全域に排水をよくするために全域にコンクリート製の管を設置していたそうで、これは発掘調査で出土した物だそうで、爆弾池の中にはこの丈夫そうなコンクリート製の管が割れている物が出土しているそうです。

昭和20年4月21日の空襲でできた爆弾跡だそうで、直径10m、深さが⒈2m。

2階から見た景色ですが、この辺りは麦を栽培しているそうで5月下旬くらいには麦が黄金色になるのでそれは綺麗な景色が見れるそうです。

滑走路跡の近くにある掩体壕。

コレは零戦のエンジンだそうで、国崎沖で引き上げられた物だそうです。

一通り見て終わったので、トイレに行こうと思ってトイレに近づくと…そこにはパンフレットと台の上にファイルが置いてあったので、ファイルを見ていると….。

一台の軽トラがやって来た、軽トラから降りてきたおじさんは2台に積んであったパンフレットを補充し始めた。

そこで、少し話をすることになってパンフレットを補充するってことは教育委員会の方かなぁ?と思って聞いてみると…区長さんだった。

その後も色々と教えてもらいました。

あの掩体壕の奥の方の天井には昔の人の靴跡が残っているとか、この下の写真のブロック状になったコンクリートの塊は滑走路に使われていた物だそうです。

これも教えてもらった事の一つだけど、おそらくこの尾翼が収納される空間は学生たちが盛り土を作ってその上からコンクリートを流し込んで、コンクリートが固まってから盛り土を退けて作ったそうで、その証拠にこの空間の壁とかは凸凹していて、なるほど納得。

左側が奥の部分の凸凹が手作り感がある、右側は凸凹はなくきちっとした作り。

これが区長さんがおっしゃていた靴跡、盛り土を作った時に残っていた靴跡がコンクリートに跡になって浮き出ている状態です。

よくよく見ないと分かりませんし、普通に訪れてただ掩体壕を見に来ただけではおそらく気付かないだろうし、私も普通見てこの靴跡には気づきませんでした。

他にも色々と教えてくださった区長さんありがとうございました。

トイレの所にあった映画の看板…今度見てみようかなぁ。

宇佐市平和資料館と戦争遺構

2024.3.20(水)

中に入って受付を済ましてお勉強。

一番目立つところに映画『永遠の0』のポスターが…昔観たんだけどもう随分前の話。

もしかしてこの辺りのお話だったのか?

永遠の0を改めて観てみたが、劇中でもこの割れたゴーグルなんかは出てくるんですが、実際にあった物なんだなぁと思った。

これは『桜花』という機体だそうで、コレにはエンジンが取り付けられておらず自力で空に飛び立つことができない機体で零式艦上戦闘機に取り付けられて戦場に運ばれ、切り離されて戦艦などに特攻していく機体だそうです。

1−18と書かれたところより前の部分に1.2tの爆弾を搭載していて、切り離された後は後方に取り付けられていたジェット機で加速をして戦艦に突っ込んでいくという感じの代物だそうです。

出撃命令を待っていた時にアメリカ軍からの攻撃に遭い宇佐からこの桜花は出撃することはなかったそうですが、本土決戦に備えて桜花や零戦による特攻を行い829名の搭乗員が戦死したそうです。

この施設に到着した時間は4時50分だった、入館は4時30分までだったそうで…残念ながら見学はできませんでしたが、資料をもらい、この近くにあるという戦争当時の建物があるというのでみに行く事に。

この建物のところにあるコレを辿っていけば見れるそうで歩いて数分…。

アメリカ軍から受けた機関銃の弾丸痕。

ここはどうやらパラシュートを整備していた所だそうで壁に⭕️があることから重要な施設だったそうだ。

宇佐空の郷でさっきお会いした方に教えてもらった。

窓と窓の間にうっすら見える⭕️、他にも△もあるみたいです。

道路を超えた先にある施設、ここも重要な施設だったそうです。

豊後高田『昭和の町』

2024.3.20(水)

一部施設は有料ですが、無料で見学できるところもあります。

有料館内には昔の品々、特にオモチャ関連が多く展示されていて「あっ!これ懐かしい」と思わず声が出てしまう物もありました。

今度は商店街を歩いてみることに。

昔のガソリンスタンドだそうです、この裏手には空き地があってなんだかドラえもんのアニメで出てきそうな感じのドカンにベンチに空き地という感じでいい感じの空き地でした。

この施設内には昔のお金などが展示されていました。

昔のタイプライターなんですが、これが…もうすごい。

逆向きに文字が配置されているうえに一個一個の文字が小さい…よくこれを打っていたと思う。

うろ覚えだけど、昔はこのタイプライターを打つのに試験に合格した人しか触れなかったとか…しかもそんなに多くの人が扱えなかったとか…。

大東亜戦争で日本が領土を拡大しているときに発行された現地の紙幣だそうです。

よくこれだけ綺麗な状態で残っていたなぁと思う。

この施設の中で放映されている昭和35年から数年の間の映像がなかなか興味深く見入ってしまった、昔はこんな面倒なことを手動でやっていたのかとか今は当たり前にある機械が昔はなかったことからこんな苦労をしていたのかと衝撃を受けた。

電卓らしいですのが…これどうやって使うんだ?分からん

宇佐神宮

2024.3.20(水)

宇佐神宮に到着した時にちょと雨が降り出しました、しばらくすると止んだのでお参りへ。

八幡社の総本山だったんですね、知りませんでした。

一度は見てみたいと思う流鏑馬…見にこようかなぁ、でもすごい人なんだろうなぁ。

左の鳥居から上に行くことに。

この石を持ち上げて力比べをしていたそうだけど…90、120、140kgって持ち上げられるの?

ん!?大修理?嫌な予感が…

うわぁ!でたよ!!お得意の写真です…なんかもうここまでくると逆にラッキーなんじゃないかと思えてくる。

修復期間は令和七年二月末までだそうです。

お参りの様子を見ていると、「パン、パン、パン、パン」と拍手の音が…

ここでは『二礼四拍手一礼』のようです。

お守りと願掛け瓢箪絵馬を購入して願いを書いて、大きい瓢箪に入れて奉納しました。

白鹿権現

2024.3.20(水)

今日も昨日に続き大分県の観光。

朝イチで向かう場所は『白鹿権現』。

Googleマップで検索してみてみるが…道路が表示されるだけで、それらしきものはなかった…ストリートビューを見てみるも道路とガードレールがあるだけガードレールの先は崖になっていた…考えても仕方ないのでとりあえず行ってみることに。

白鹿権現の先に鳥居のある所に車を停めていざ出発。

鳥居をくぐり下っていくが…この下りが結構急で、帰りのことを思うとゾッとする。

見ての通り道は狭いです。

何やら建物が見えてきた。

さらに下っていくと看板が見えてきました。

この鳥居を抜けてその先なのかな?ととりあえず鳥居をくぐり橋を渡る。

その目の前には…

柱状節理っぽい…石のことはよく分からないが、これを初めて見たのは宮崎県にある高千穂という地域でのことで、これが自然にできるというのが不思議でならなかった。

すごいんだけど…そんなことよりも…白鹿権現はどこだ?右往左往しながらも分からない。

一度冷静になって柱状節理の所の橋の所に『白鹿権現』の矢印付きの看板が鳥居の方を指している、ということは…橋から鳥居のところにある看板の間?

地図アプリを開いて自分の位置と状況を見てみると…白鹿権現は川沿いにちょっと下流に向かったところにあるみたいだ。

鳥居のところにある看板のすぐ隣を道?らしきものがああるので進んでみることに。

すると、行き止まったところに鎖場が…「えっ!ここいくの?」予想に反した鎖場だったので驚いた。

第二の鎖場。

ようやく到着…なんだか神秘的な場所だった。

まずはお参りを…数年前のお話だけど、とある地域でお仕事をしていた時に出勤すると入り口に鹿の首が置いてあった。

地元の猟師さんが朝早くに仕留めて持ってきていたそうで、それを見た私は角を持って顔の前に持っていって写真を撮ってもらったりした、当時ちょうど鬼滅の刃が流行っていて「なんだか猪之助みたいだなぁ、いやどちらかというと鹿男青によしか。」みたいにふざけて遊んでいた、そのお昼には鹿肉をいただきました、美味しかったです。

ただお肉を頂くだけなら良かったんだけど…顔に当てがって遊んでいたのはいただけなかったなぁと思い今回は懺悔してきた。

しかし…すごい数だなぁ。

この骨は猪っぽいなぁ。

立派な角です。

この白鹿権現について地元の方にお話を伺ってみたかったんだけど、朝が早いということで集落に人の気配がなかったのでそのまま次の目的地に向かうことに。

アントニー・ゴームリー

2024.3.19(火)

今回は大分県の国東半島にある一体の像について。

もう随分前に職場の方に「国東半島の山の中にポツンと像が立っているところがあるんだよ。」と教えてもらっていた。

しかし…その像だけの為にわざわざ訪れるのはなぁ〜と思って時は過ぎ、大分県でどうしても行ってみたい場所が数箇所あったのでついでに立ち寄ってみました。

この看板は民家を抜けた先にある分かれ道の所にあって、この看板を右に行くと45分くらいの登山道を歩いていくみたいになっているそうです。

今回は到着したのが夕方で日が沈みかけていたので看板を左に曲がって車で近くまで行くことに。

駐車場に到着したのはもう6時を過ぎていた…階段を急ぎ登った。

5分後…到着。

写真で見ていたけど…シュールすぎる。

ここは足場が悪いので足元に注意しましょう。

「いや、いや、説明これだけ?」2013年の作品なんだ….。

ということで、後日『アントニー・ゴームリー国東半島』で調べた結果…アントニー・ゴームリーは1970年代にインド、スリランカで仏教について深く学び自信をかたどった鉄の鉄の彫刻を作るようになったそうです。

鉄でできているので、錆びたりしていずれは自然に帰っていくというコンセプトみたいです。

いやぁ〜しかし、「ここまでの道中運ぶの大変だっただろうなぁ〜、いやヘリで運んだのか?」と思いながら像を見たり写真を撮っていました。

しかし、帰って調べていると…像の高さが191cm、体重629kg…だそうです…「えっ!あの像600kgもあるの!?マジでどうやって運んだんだ?…いや、それよりも模して作ったってことはアントニーってそんなでかい人だったんだ。」

読み続けると、櫓を3箇所作ってロープウェイの様にして運んだそうだ。

それ以外の作品も調べていると…「あっ!これどこかで見たことある!」って作品が出てきたその作品名は『エンジェル・オブ・ザ・ノース』ここではその写真は載せられないが、どこかの美術館のポスターだったか、テレビだったかなんかの美術雑誌だったかはもう記憶が定かじゃないんだけど…その当時その作品を見た瞬間に「いや、これ、ジブリアニメの天空の城ラピュタに出てくるロボットじゃん!」と心の中で突っ込んだ記憶があるのがあったので記憶に残っていた…しかし、あの作品の作者がここの銅像と同じ作者だったとは。

明るいうちに車まで降りてきて暗くなるのをちょっと待ってから夜間撮影してみることに、しかし、今日は月明かりがあってちょっと撮影が難しかったですが行ってみることに。