岩下コレクション

2024.3.16(土)

由布岳登山の後にせっかくなので湯布院観光をしようと思って、ちょっと来てみたかった岩下コレクションにおじゃましました。

入り口から入って受付の正面にあるこのステンドグラスはなんでもダイアナ妃の生家のものだそうです。

一階には懐かしい品々が展示してありました。

あのゾウの置物とか薬局の入り口とかにあった様な気がするなぁ…

他にもカメラ、時計、雑誌、フェラーリなどを展示していました。

2階に上がる所に壊れた石膏像があって、説明がありました。

頭が空っぽくらいの方がちょうどいいのかも。

高倉健さんのコーナーがありましたが…私は健さんの作品は見たことがないので、うーんって感じでした。

なんか健さんの作品って任侠みたいなイメージがあるのでみる機会がないんだよなぁ。

そういえば『ぽっぽや』に出ていたんですね、これは今度観てみようかなって思いました。

戦争の資料ゾーンには戦争に徴兵される赤紙がありました、当時の人はこれをどういう気持ちで受け取ったんだろう?

これが届いた瞬間に死を覚悟して家を出たのかなぁ。

バイクゾーンです、まずはホンダ。

この軽トラは本田宗一郎がこだわって作ったらしくて、エンジンにDOHCを採用していることから本田宗一郎の本気度が窺える。

随分前から欲しいなぁと思っている一台『モトコンポ』随分前の話だけど…その当時ですら20万円くらいしていたんだよなぁ…発売当時は8万円くらいだったそうです。

このバイク懐かしいなぁ…昔乗ってたんだけどその当時ですらもう部品があまりなくなってきていて壊れないように気を遣いながら乗っていたなぁ。

これは競技用の車両ですが、一階のトイレにはこのTYスコティッシュもありました…しかし、トイレにまで展示しているとは思わなかったのでビックリしました!!

この写真だけでは何?ってなるけど、これはロールスロイスのエンジンを撮ったんだけど…本当にデカくてこれが本当に道路を走っていたのかと思うと信じられないって感じです。

7000ccの直列6気筒!!1気筒あたり1166cc!!すげぇ!!

こんなバイクは見たことないしすごく斬新!

中日本重工業?知らん!聞いたこともない!ってか1948年って戦後数年後に作ったバイクなの?

よくこんな綺麗な状態で残っていたなぁ。

3階への階段の手すりが左右で違っていて、たぶんそれの事なんだろうなぁ。

階段を上がって見ていると、黒い箱が見えたが…その正体はデカイスピーカーでした。

この自転車にエンジンが引っ付いたバイク…すごく有名な自動車メーカーの名前が入っています。

ニッサン!?えっ!ニッサンってバイクも作っていたの?

これは知らなかった!

そして、この岩下コレクションの最大の目玉商品『ドゥカティ アポロ』なんと世界に一台だけというバイクだそうです。

マンガ『ばくおん』というバイク漫画でも紹介されているそうです、ドゥカティ信者が崇め奉っているシーンがあるみたいです。

しかし気になるのはL型4気筒ってどんな音なんだろう?

気にはなるが…世界に一台もちろんパーツもこれっきりしかないのかと思うとエンジンの音を聞きたいですとは言えないなぁ。

帰る直前にステッカーを購入した時に、偶然にもここのオーナーさんとお話しすることができました。

オーナーさん曰くまだまだやりたいことはいっぱいあるとおっしゃていました、「今日も朝から作業をしていてズボンに穴が空いた」ということも言っていました。

面白くて気さくなおじいちゃんって感じなんだけど…まだまだやりたいことがあるって夢を聞いた時にはすごいバイタリティだなぁと感心した。

生きるってこうだよなぁ〜と思った、またオーナーのやりたいことが実現できることを祈っています。

バイク好き、古い物好き、ドゥカティ信者の方は是非訪れましょう!!

大分県 中津城

2024.3.3(日)

前回の続きという事で、今回は大分県にある中津城に行って来ました。

まずは資料館でお勉強…うむ、なるほどなるほど。

奥平?細川じゃなくて?

…まぁ、それはおいおい。

今日は3月3日ということでお雛様を飾っていました、もちろん城内にも。

出ました!!鳥居強右衛門!!

昨年のNHK大河ドラマ『どうする家康』でも鳥居強右衛門のお話の回があったのが印象的でした。

しかし…なぜここで強右衛門?

1575年に織田、徳川の連合軍と武田勝頼の戦い『長篠の戦い』がありました。

その長篠城に籠っていたのが奥平家で、武田軍に包囲されていた長篠城から徳川家康への援軍を求めるために岡崎城へ使者を送ることにした。

その時、この命懸けの使命を自ら応じたのが下級武士の鳥居強右衛門、無事に岡崎城について家康、信長からの援軍が数日後に向かうことを知った強右衛門は踵を返し長篠城に戻ります…ゆっくりしていればよかったのに。

長篠城に到着前に武田軍に捕まり、長篠城に向かって「援軍は来ない、あきらめろ」と言えと武田に言われたが、強右衛門は「数日のうちに援軍が来る」と言ったので、怒った武田勝頼に磔にされ処刑された、というのが鳥居強右衛門のお話でした…簡単にですが。

天守からの風景です。

官兵衛もここからの景色を見ていたんだろうなぁ。

お城の図を見ても思ったけど、ほんと地の利を生かしたお城の築きかただよなぁ…。

降りて来ました、この堀は隣の河川と繋がっているそうで干満の差で堀の水量が変化するそうです。

このお城の石垣は既に使われなくなった別のところのお城の石垣を川を利用して運んできて再利用しているというのが、さすが官兵衛ってところですよ!

結局、再利用つまり既に加工された石をそのまま使うことができるという加工する手間を省ける船で運ぶから容易…さすが軍師官兵衛!!…マジで頭いい。

この石垣の説明は城内にもあってちょっと見てみたいと思って来ました。

ここの石垣はくっきり線が引かれたように積み方が違っていて、実に面白い。

右側の石垣は黒田時代の石垣で、左側の石垣は細川時代の石垣だそうです。

中津城の駐車場を少し出た所に博物館があるそうなので行ってみる事に。

博物館で流れていた資料でこの石垣の説明がありました。

説明曰く、どうやら官兵衛時代に築いた石垣の上に更に1.2m高くしたそうで、幅も広くしたそうです。

つまり、石垣上面から下1.2mは継ぎ足された石垣で、そこから堀の水面までは官兵衛時代の石垣だそうです。

石垣を内側に向かって厚くした跡だそうです。

この石垣の説明もあったんですが…ちょっと忘れちゃった。

でもたしか、この石垣は左下にある大きな石を置く事で威圧的に見えるように的な事だったような…この大きい石は実は奥行きがなく薄いそうだ。

資料館の資料などを読んでなんとなく黒田官兵衛の動きが見えてきた、官兵衛が動く事によって細川が、奥平がということもなんとなく見えてきた。

九州平定後、豊臣秀吉から豊前6群を貰った官兵衛は中津に城を築き、宇都宮鎮房を討った後に家督を長政に譲り、天下分け目の決戦で手柄を立てた長政が筑前52万石を与えられ福岡に移って、福岡城を築く…その空いた中津城に細川家が入る…その後に小笠原、奥平と続くそうだけど…うんうん。

そういえば前に小倉城に行った時に細川忠興とか小笠原の資料があったような…。

まぁ、今回は黒田官兵衛…大河ドラマでも、お城で流れていた映像でもとっても印象に残るシーンがあって…というのが、関ヶ原の戦いで活躍した長政が家康から握手を求められた時に官兵衛が「それは右手であったか?左手であったか?」という問いに長政が「右手でございます。」と答えた時に官兵衛は「その時、左手は何をしていたんだ?」というやりとり。

いやぁ〜、さすが軍師官兵衛。

でも結局残念なことに、関ヶ原の戦いが起こることを予想して九州を制圧し始めて兵を増やして関ヶ原に行く予定だったのに、関ヶ原の戦いが息子長政などの活躍もあり1日で終わってしまった…これがもし数ヶ月にも及ぶ戦だったら、長政が左手で家康を屠っていたら天下を黒田が取っていたかもなんて考えたりするのも面白かったです。

このお寺は『合元寺』通称『赤壁の寺』と呼ばれているそうです、このお寺もお城で見た資料にあったので来てみた。

なぜ赤壁の寺と言われているかというと、宇都宮鎮房を中津城で長政が殺した時に鎮房の家臣はこの寺に待機していたが鎮房が殺された後に急襲され戦いになり、その時の戦闘によって血が壁に付き何度白く塗り直しても血が付着した壁に何度も赤く浮かび上がってくるという事で壁を赤く塗ったそうだ。

合元寺から少し歩くと、福沢諭吉旧居に着いた。

この藤はちょっと見たかったなぁ…もう少し後ですね。

中津と言えば唐揚げだそうで、唐揚げ弁当をいただきました。

美味しかったです。

今回の旅土産。

福沢諭吉館でアンケートに答えて貰ったマンホールのカード。

この切り絵がなんだかカッコよかったので購入しました。

官兵衛の御守りで赤と青色があるんですが、私は赤を購入。

赤は官兵衛の甲冑の色で、青は着ている着物の色だそうです。

中津市歴史博物館で購入した土器風の焼き物。

諸田遺跡の甑(こしき)をモチーフにしている、取っての形から『ぴょこ』ってあだ名がついているそうです。

これも展示されていたんだろうけど…時間がなかったので本物は見ていないんだけど…また時間がある時に見に行きたいなぁ。

大分県

2017年7月29日 血の池地獄。

分かりにくいかもしれませんが、間欠泉です。

この色の池を見た時は衝撃だったなぁ〜。

で、近くで見てみると…あぁ、こうなっているんだぁ〜ってなりました。

ネタバレになりますので、自分の目で見て見たいという人はここから先は読まないようにしてください。

これで一応、北の青森県から始まった旅日記は終了なんですが…番外編ということで、明日からもうすこしだけ日本編にお付き合いください。

本当は明日から海外編を書いていこうと思っていたのですが…10日ほど先の話になりそうです。

あの池の赤というのは、底に溜まった泥で水自体は透明なんです。

私は遠くから見た瞬間に水自体があの色なんだと思ったのですが、違っていたんです。